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表現できないこと


早朝3時半に鳴き出す野鳥の美声に、聞き惚れる。そして、鳴き声は文字化できないし、言葉にもできないから、伝えることが難しい。そうすると、その声の主が誰なのかを検索する術が見当たらず、また明日鳴いてくれはしないかと、願うばかりなのである。

哺乳類の大きな特徴のひとつは、文字通り「哺乳=乳を飲む」ということ。乳を吸う赤ちゃんって、最高に可愛い。にこって笑ったりすると、もうそれだけで幸せになれちゃう。この「笑顔」は、哺乳類の特徴。哺乳類だけが、物理的に笑うことができる。

哺乳類以外の種族たち(たとえば、鳥類や昆虫、魚類や爬虫類)は、笑顔を作ることができない。それは感情がないってことではなくて、笑顔をつくる筋肉がないから…。

ぼくたちには、乳房を吸うために頬の筋肉が必要なのです。顔の筋肉。そして、それを使って顔を動かして感情を表現している。人間は筋肉を使って、感情を表現して、気持ちを交換する。

ぼくが、ふと思ったことは、<表現する方法を失った自分について>です。たとえば、顔に覆いやマスクをつけなければいけない、とか、顔の筋肉が動かなくなる、など。

そのほかにも、ぼくは、いま文字を使って自分を表現していますが、声や言葉、表情や音、仕草なんかで、自分の内面を表現します。そういう自分を外に表す筋肉や能力が使えない。もしくは、かなり不自由になってしまう、としたら、ぼくはどんなぼくに出会うんだろう。意思はあるけど、意思を自分の外に出力できない状態。


まあ、そんなことを考えるよりも、鳥の鳴き声を口で表現できるくらい、一度で脳裏に焼き付ける訓練をしたほうがいいのかもしれない。表現するということができるなら、たっぷり表現できたほうがいい。

それでもなお表現できないことはあり続ける。
自分の中にも、他者の中にも、こどもたちの中にも、表現されることのない内面、表現することのできない内面(物理的、もしくは意識的、無意識的にも、)というものが………。
あ、テレパシーが使えるなら、また違う次元の交歓が開けるのかもしれないですね(笑)←哺乳類特有の表現

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