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佐渡金山と嫌な思い出

はたして佐渡金山は世界遺産に認定されるのでしょうか?
申請書類のミスというのも隣国に気を遣ってわざと行ったような気がしてしまうのは考え過ぎでしょうか。

佐渡金山というと採掘をしていた人達が流人だったと勘違いする人も一定数います。
しかも流人=犯罪者と思っている人もかなりいます。

私が東京で就職した時に言われた嫌な思い出があります。
新入社員として自己紹介をした際に支店のNo2である次長から言われたのが
『佐渡出身という事は罪人の子孫か!』と皆の前で言われました。
就職先は上場もしている会社でした。
全社員を集めて同和問題について研修を行った事もある企業です。
でも昔はそんな感じでした・・・。
パワハラ、差別を意識できていない時代です。
今そんな発言をしたら大変な事になっていたでしょうね。
正直悔しかったでし今でも忘れられませんが、私自身も佐渡の歴史についてほとんど知らない事を気づかされました。
それをきっかけに佐渡の歴史や流刑について興味を持つようになり何冊かの本も読みました。

流刑地というと真っ先に連想されるのがなぜか佐渡のようですよね。
『遠流(おんる)』と言われる罪が重い人が流された地だけでも佐渡を含め6か国(伊豆・隠岐・安房・土佐・常陸)あります。
佐渡に流された人は奈良時代から室町時代までの約700年間に約70名。
流された人々の中には、承久の乱で敗れた順徳上皇、鎌倉幕府を批判した日蓮聖人、能で大成した世阿弥など、貴人や文化人などが含まれています。江戸時代までの佐渡の流人は主に政治犯や思想犯が占めていました。

そんな中1601年に佐渡金山が開山されます。
多くの方が勘違いしているようですが流人が佐渡金山で労働をした事はありません。
佐渡金山 = 流人の強制労働 と思っている方も多いようです。

流人と勘違いされるのが無宿人です。
江戸時代後期に頻発した天明の大飢饉などで、江戸にはたくさんの無宿人がいました。
その無宿人1,900人弱が佐渡に送られ『水替人足』とういう大変過酷な労働を強いられました。あまりに過酷な労働環境ゆえ3年以内に亡くなる方が大半だったそうです。
この方々を流人と勘違いしている人が多いのだと思います。
また、実際に佐渡金山を見学した方ならご存じかと思いますが動く人形の
『なじみの女に会いてぇなぁ』というセリフの良い印象は与えません。
『佐渡に流されて来て強制労働をさせれて帰りたくても帰れないんだ!』と想像を膨らます事もできます。
今もまだこのセリフは流れているんですかね?
個人的には止めた方がいいなぁと思っています。

世界遺産に申請するにあたって隣国の強制労働の問題も話題になりました。
既に世界遺産のエジプトのピラミッドも奴隷の強制労働とも、雇用された労働者による国家事業だったともいわれていますが・・・。
佐渡金山の強制労働については日本国内ですら、強制労働の学術的根拠はない(募集に応じて労働を行った)という見解と、強制労働が存在したとする見解に分かれています。
残念ながら主張は平行線、きっと永遠に決着はしないのでしょうね。

知っての通りこの世界遺産登録は佐渡市にとって大きなチャンスです。
もしも世界遺産への登録が叶ったら間違いなく佐渡への観光客は増えます。
かつては年間120万人も方が訪れた観光地でしたが、コロナ前の2019年には49万人に激減。
以前からリピーターの獲得が課題と言われ続けています。
金山以外にも、まだまだたくさんある佐渡の魅力を存分に伝えられる環境を整えて欲しいものです。

一方でここ数年で島内の喫茶店の数は倍以上に増え、観光名所のひとつになっているようです。
意外なものが観光資源になるもので少し驚いています。

行政と佐渡に住む方々で協力して佐渡を盛り上げていければいいですよね。
でも新潟に住む私も何か協力でる事はないかと日々思っています。

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