見出し画像

1000校のネットワークづくりを目指して(特別対談 寺脇研さん×ふるかわりさ)

元文部科学省官僚の寺脇研先生と、一般財団法人新留小学校設立準備財団 共同代表 古川りさによる特別対談企画です。
(文:私立新留小学校設立準備財団地域連携室長/松下政経塾赤木亮太)

5月11日(土)のお昼どき、元文部科学省官僚の寺脇研さんが新留小学校に来てくださいました。

寺脇研さんのルーツは鹿児島です。
ラ・サール高校出身。1971年にラ・サール高校を卒業する時に、卒業生総代として答辞を述べました。
その内容は、

「中学から入った150人の生徒は、卒業時は120人になった。成績の悪い生徒を追放して実績をとる。それでもこの学校を素晴らしいと言えるのか。」

パンチのあるご指摘。
日本でもトップレベルの高校。その在校生がこんなことを言えるでしょうか。きっとこの頃から教育に思うところがあったことでしょう。

その後東大法学部に進み、1975年に旧文部省入省。
初等中等教育局職業教育課長、広島県教育委員会教育長、高等教育局医学教育課長、生涯学習局生涯学習振興課長、文部科学省大臣官房審議官、文化庁文化部長などを歴任され、映画評論家・落語評論家としても幅広く活躍する異色の官僚として知られていました。

官僚時代は、知識重視型の詰め込み教育から経験重視型のゆとりある学校づくり、いわゆる「ゆとり教育」のスポークスマンとしてメディアに頻繁に登場しました。現在は大学教授、また民間の教育ボランティアとして立場が変わっても精力的に教育問題に取り組んでいます。

間違いなく昭和から平成の激動期に今にも繋がる教育の礎を築いた教育界の偉人の一人です。
そんな寺脇研さんから見て今回の新留小学校のプロジェクトはどう映っているのか、率直な意見をお伺いしました。


公教育のシステムの見直しを

寺脇さん:今回、このようないわゆる田舎の地域に学校ができるということは、私は素晴らしい取り組みだと思っています。

現在、全国の田舎の学校が統廃合している中で、田舎の学校を残していくとなると当然費用がかかります。
今までの日本の教育は平等の考えだから、逆にいうと田舎だけ生徒一人当たりにかける費用が多かったらおかしいという話になっていたわけです。
例えば、新留小学校で3人の子どもを育てるためにかかる費用と、鹿児島市内の学校で一クラス30人の学級のクラスがあると、一人当たりの教員数が違いますよね。
この一人当たりの教員数を平等にするという考え方をやめなければいけないと思っています。
それは物凄い費用をかけてでも、こういった少人数の学校を残していくことが大事だと思うんです。

一番ネックになっているのは公立の場合は教員の配当基準。
市町村単位で配当しているから、僻地にある小規模校に配当すると中心部にある学校の教員が少なくなるわけだけれども、それを変えていこうという話です。

変わりゆく親のニーズ

寺脇さん:私は福岡県や広島県の教育委員会で勤めていた経験があります。
都会の学校は少人数学級にしてくれと考えていますが、田舎の学校は小さい学校だから統合してくれと考えています。

また昔は親が、こんな小さい学校だったら良い教育が受けられないから、大きな学校に行かせてちゃんとみんなと協力したりすることをしなければいけないと考えていました。
しかし最近の話を聞くと、親は少人数教育の方がいいという割合が増えてきているようです。

例えば、埼玉県の越生町。
人口減少地域ではないですけれども、東京への電車が来る地区には人が住んでいて、一方で生徒が少なくなってきた山の中の学校もあるわけです。

普通に考えたら、学校を統廃合すればいいという話だけれども、どうしても山の中の学校を残したいと考えています。
そこで考えたのが、学校の統廃合をしても残してもどちらにせよスクールバスを使うので、街中の校区に住んでいてもスクールバスを使用して山の中の学校に来たいという人を募ったところ、相当の数の子が来ちゃったわけです。
保護者も東京都心に通勤できる範囲の町に住むことにしたら、町内に少人数の学校があり、そこに通わせることができるわけです。
つまり、便利な地区から山の中の学校に毎日通学している希望者が増えているんです。
そういう親も増えてきているので、今回の新留小学校も十分成り立ちうると思います。

文部科学省が考え方を変えて、今は統廃合という考え方だけれども、「残す」という考え方になっていくことが大事です。
新留小学校だって、17年前に休校したのに、こんなピカピカな校舎だなんてもったいない。

姶良のあじ福さんのお菓子で、即興のお茶会をしました。

地域の人たちの生涯学習の場としての役割も

さらに、私が最も信頼している教育学者である熊本大学の苫野一徳さんが提案しているのは、彼も私と同じでこういった学校を残さなければいけないと言っています。

学校に子どもが3人とか5人とかなっても、地域の人たちも学校に来て生涯学習の場として、子どもも大人も一緒に学んでいく

そもそもいじめとか起こるのは同年齢集団だけで暮らしているからという見方もあります。
「じいちゃん、ばあちゃんも来ていいよ」
ということは目も届くし、子どもたちの間の軋轢やストレスを発散できます。

江戸時代の寺子屋の研究を専門にしている先生から聞きましたが、昔の農村というのは年取ったら農作業ができないから隠居するわけですよね。

寺子屋には子どもとそのような農作業できなくなったお年寄りがみんな集まったそうです。子どもにとってもお年寄りにとっても居り場所としていいところだったという話を昔聞きました。

今回の新留小学校もそこまで広げられるといいなと思いました。
もちろんお年寄りのために先生を用意するということはできないだろうから、例えば、ここで放送大学とかネットを通した学習をする。

お年寄りも家で一人でポツンとしているよりも、学校の中で子どもたちと学ぶ方が「今日は学ぶぞ」という気にもなれるじゃないでしょうか。

赤木さんの点てた薄茶でおもてなし

古川りさ:人類学者の山極壽一先生の本を読み、人類史を遡った時に、なぜ人間にだけ老年期があるのかということを知りました。

チンパンジーは、産んだ子どもが自立するまでじっくり1人で子育てをするので、6〜8年に一回しか子どもを産まないそうです。

一方でヒトは、何度も出産できるようになることで、種を残すことができた。生まれた子どもがまだ未熟なうちに次の子どもを産むためには、母親が(抱き抱えたままではなく)いったん子どもを手放さなければならない。
その子どもの面倒を見るために老年期というのができたし、コミュニティで協力し合いながら子育てをするようになったのだそうです。

そういう意味でも、子どもたちを同級生だけの小さな世界から、本来の赤ちゃんも大人も高齢者もごちゃっと混ざったコミュニティに戻してあげることは、大人にとっても子どもにとっても大切なことだと思います。

100校、いや1000校の横展開を目指して

古川:今回この学校というのは食とことばを柱として置こうとしています。

チンパンジーの祖先と人間が別れた時に何が起こったかというと、食と子育てを共同でし始めたのだそうです。

私たちのDNAって昔と比べてそんなに変わってないのに、今は食も一人、子育ても一人という不自然な状況で逆に非効率になってしまっています。

本当の幸せってなんだろうと考えた時に、人生を閉じる前までその世代その世代の幸せを自分で選び取りながら幸せに生きていくこと、そのためにコミュニティってすごく大事だよなって考えています。

もう一つは特にこの新留に住んでいるじいちゃんばあちゃんとコミュニケーションを取りながらすごくヒシヒシと感じるんですけど、例えば、うちの娘たち(高1、中2)からすると、ここの学校の周りは「ただの山」

でも新留小学校で用務員だった神宮先生たちと一緒にいると一気に「宝の山」になります。

学校の裏にゼンマイが出たり、コサンダケがすぐ生えたり、孟宗竹も生えるし、わらびとか山菜がたくさん取れるんです。
子どもたちって孟宗竹のタケノコなら目につくんですけど、
他のものが食べ物なのかそうじゃないのかは区別がつかない。

でもそれを地元の皆さんにに習って、
「これをこうやって取ればいい。」
「これは一晩重曹につけておいたらおいしいよ。」
「食べきらなかったら干しといたらいいよ。」
と習うと、その次からは見渡す限り食べ物がたくさんある場所になる。
というふうに解像度がずいぶん変わるんですよね。

また、私たち7,8年やっている保育園では毎月子どもたちと味噌を作っているんです。
自分たちが食べる味噌は100%子どもたちが作っているんですけど、味噌を教えたからって、子どもたちが自宅でも味噌を作るようになるとは思っていないというか、そこを期待しているわけではないんです。

うちの保育園で子どもたちに教えているのは私の祖母の味噌の作り方なんですが、うちの保育園が潰れない限りはちゃんとその作り方がこの保育園に残ります。
紙に書かれた文字情報だけの「レシピ」が残っているということと、五感でそれを覚えている人がいるということは、似ているようで実際は随分違います。文字で表せない、手触りや匂い、温度などそれら全て合わさった状態で次の世代にちゃんと引き継いでいくことがとても大切だと思っています。

この新留地区も例えば地形のこと、山菜のこと、食べられるもの、道具にできるもの、そういう元々日本にあった自然から価値を作る力、暮らし方を今の70,80代の人たちがまだ私たちに教えてくださるくらい元気なうちにずっと受け継がれてきたその土地ならではの知恵を学校という場所を軸に 残すことができたら価値があるだろうと思っています。
そういうことで日本各地の学校を起点としたコミュニティの再生と保存、「100校頑張ろう」と、財団のメンバーと密かな目標にしています。

寺脇:それはできますよすぐに!一つ岐阜県に山県市という町があって、
これがまた岐阜市の隣ですけど、ものすごく広いところで、山ばっかりという地区もあるところです。しかし市長も教育長も何がなんでもこの地域はこれ以上学校を減らさないという選択をしました。

スクールバスをものすごく活用したんです。
月火金は小さい学校で少人数の方が適している算数とかそういう教科をやり、体育とか総合学習とか社会科とかみんなで色々議論したりする教科は水曜木曜にスクールバスを利用して比較的大きな学校へ移動し、そこの児童と一緒に学ぶ。
このような学校は今でも日本中にいくつかあるから100校くらいすぐにできますよ。

古川:よし!では、桁を増やしましょう!1000校のネットワーク!

本来の地元の良さを生かしてやっていく『ふつう』の学校

寺脇さん:特別な「なんとか教育」をしようというのではないけれども、
ふつうの学校っていうのは「本来の地元の良さを生かしてやっていく『ふつう』の学校」そう説明することが大事ですね。

実は私も京都芸術大学が附属高校を作ったものだから、その面倒も見ています。一般的な学校に行くのがしんどい子たちが通信制で通っている。
そこは歴史もないできたばかりの学校です。
やっぱりいろんな学校が用意されて保護者がいろんな学校に行かせたいという選択肢を作ることも大事です。
田舎ばかり応援しようではなくて、この新留小学校は日本国全体のためにあるんだということをアピールしなければいけない。


過去と未来を踏まえて民主主義を創っていく、そのための学校を


寺脇さん: 今生きている人だけで民主主義を創るのは大間違いだと西部邁先生がおっしゃっていました。
今生きている人だけで世の中をこうしろああしろと言っていいのかと。
今は都会の人間が便利だから都会に行こうとして田舎を捨てていっていることが多いのかもしれないけど、そこにずっと暮らしてきた先祖の想いっていうのを加味して考えないといけないです。先祖がそこにずっと暮らしていたということを忘れちゃだめだという話です。保守というのは本来そういうものなんです。

古川:未来世代のこともですね。

寺脇さん:そう!もちろん未来世代のことも過去と繋がって、今これが便利だからこれをするとか、そういうことではないと。本当にそう思います。今都会の便利な学校に行って塾でも行った方がいいという考え方もあるのかもしりませんけど。

古川:都会の学校や塾で学べることって3年や5年したら全てがAIが取って代われるものだとした時に、自分の幸せをどこで感じられるのかを考えると、こうやって身体感覚と共に色んなことを学び取って自分で生きていける力、自分で世界を広げていける力を子どものうちにつけること
そうすると、その後も計算だったり外国語だったりいくらでも後から学ぶことができると思うんです。

寺脇さん:おっしゃる通りです。とても大事なことなんです。さっき昔の新留小学校の学校要覧をチラッと見ていたら、元々この学校も食育を意識しているみたいな感じですね。ちゃんと歴史を踏まえた上でこうしているんですよというアピールを出した方がいいですね。

もちろんここにゆかりのある方が寄ってくるのは当然ですけど、全くゆかりのない人だって日本にはこういうところがあることを知ることが大事ですね。みんな同じ民族で同じ国で同じ社会を作ってきた人たちなんだからね。

新留小学校の教室にて


寺脇研 プロフィール
1975年に旧文部省入省。
初等中等教育局職業教育課長、広島県教育委員会教育長、高等教育局医学教育課長、生涯学習局生涯学習振興課長、文部科学省大臣官房審議官、文化庁文化部長などを歴任。
映画評論家としても活躍する異色の官僚として知られる。「ミスター文部省」と呼ばれ、知識重視型の詰め込み教育から経験重視型のゆとりある学校づくり、いわゆる「ゆとり教育」のスポークスマンとしてメディアに頻繁に登場した。現在は大学教授、また民間の教育ボランティアとして精力的に教育問題に取り組んでいる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?