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言論に多様性がなくなりつつある

アメリカ大統領選挙をめぐりGAFAの偏った動きが話題になりました。SNS各社がトランプ大統領をはじめとする共和党陣営のアカウントをバンしたり、AWSが保守系SNSのサーバー自体を停止・消去してしまったり、GoogleやAppleが保守系SNSのアプリをストアから削除したり。規約に違反したからということなのでしょうが、普通の人から見るとやりすぎ感があったのではないでしょうか?

YouTube、Facebook、Twitterが中国や韓国に絡む話をするとアカウントをバンするという話はここ数年あたりまえのことになっていました。新聞やテレビなどの既存マスコミが偏向報道しかしないのは慣れていましたが、ネットの世界もご多分にもれずということのようです。

このように言論や情報発信に多様性がなくなっている状況は、西側諸国にとって危険な状況と感じています。

多様性はリスクを回避するための生存戦略

投資の世界では、ポートフォリオを作って分散投資しリスクを軽減する考え方があります。情報システムでも、サーバーを冗長化したり配置を分散化してリスクを軽減します。

多様性を認めるということが良いことだと言われているのは、このリスク分散・軽減の考え方と通じるところがあるからではないでしょうか?「多様性」とは全てを認めるということではなく、いろんな種類の人がいれば誰か一人ぐらいは生き残るだろうという生存戦略なのではないでしょうか?。

映画「マトリクス・レボリューションズ」でエージェント・スミスがマトリックスの世界を自分のコピーでうめつくし多様性のない世界を現出させるシーンがあります。ネオとマトリクスによる一撃で、多様性の無いエージェントスミスの世界は一瞬で消滅します。多様性のない社会は脆弱だと言わんばかりです。

多様性の誤用

夫婦別姓の議論などをみていると、多様性を重視せよと言いつつ実態は特定の意見を押し付けるような動きをしています。多様性をなくし言論統制しています。多様性の意図的な誤用でしょう。こういった多様性の誤用、言論統制は政治的意図を国民にすり込むためのプロパガンダと表裏一体をなしているようです。

ナチスドイツによるプロパガンダ戦という有名な教材が転がっているのに、なぜ人々は再び騙されるのでしょうか?たぶん世代が変わって忘れてしまっているのでしょう。

歴史的な教訓を忘れている、という話を聞くと寺田寅彦「津波と人間」を思い出します。東日本大震災の津波災害はそこに住む人たちが災害の記憶をなくしてしまったことから繰り返し発生しているというお話です。

ふたたび言論の多様性

GAFAによる言論の多様性は期待できない時代となりました。集中型のシステムは最終的には全体主義に変わってしまうのかもしれません。ピア・ツー・ピア型の言論プラットフォームが求められます。





日本の危機を広く知ってもらうため日々noteで投稿しています。あわせて日本復活に必要と考えている新しい技術・産業についても書いています。