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英語の覇権主義

少し古くなりましたが、施『英語化は愚民化』集英社新書を読みました。我が意を得たりといった感じでしたので、私見を書いておきます。

参考 室伏さんのユーチューブ動画

まずは大前提

日本語は日本文化そのもの。過去と現在をつなぐ大切なもの。日本語を母語として使う人間が居なくなることは日本や日本人が消滅することと同じ。

施さんの主張

英語を学ぶために時間や能力を取られると、他の多くの大切なことのために時間と能力を割けなくなり、英語ネイティブな人たちに対して不利な立場に置かれる。ここでは、全体の話をしているので個々に両方できる人がいるとかは関係ない。「全員が多言語話者であるべきだ」という考え方に異を唱えている。

様々な抽象概念を日本語化し、その上に新たな文化・技術を作り上げたところにたところに、日本の発展があった。

英語と日本語の間で情報交換することは、すべての日本人ができる必要はない。

私見

施さんの主張は、個人的には納得いきました。

明治以来、日本の知識人・文化人の中には、「進んだ外国の言葉を母語にすべきだ」とか「漢字仮名交じり文は不利だからローマ字を基本にすべきだ」というような話が出ては消えて来ました。 現在、再び英語教育の小学校への導入を通じて同じような事態が起きているように見えます。

また、日本語は情緒的であいまいで論理的でない、というような根拠ない意見も多く見られます。

自国を軽視し、時の覇権国家におもねるような考え方は、国を弱くし長い目で見れば損をすることになるでしょう。

世界は人種差別にあふれていて簡単に消えてなくなることはないと考えています。「宇宙船地球号」「世界は一つ」のスローガンは、地球人と宇宙人という対立が生まれるガンダムのような時代になるまで実現しないでしょう?

しかし、英語覇権主義は永遠ではありません、中国語に先を越されそうですが、日本語の国際語化が実現されるように何かできないか考えてみたいと思います。




日本の危機を広く知ってもらうため日々noteで投稿しています。あわせて日本復活に必要と考えている新しい技術・産業についても書いています。