オスマン帝国が創られた瞬間 モンゴルの進撃は世界を変えた
人類史に多大な影響を及ぼしたオスマン帝国
その生い立ちについて解説します
セルジューク朝衰亡
1070年~1200年間、西アジア一帯は(少し中央アジアをも含まれます)セルジューク朝と呼ばれる国が納めていました
しかし、1200年の後半ごろモンゴル帝国という国が進撃してきました そのモンゴル帝国の戦術は新しく(具体的にいえば、馬を補給にする、火薬を使う、集団戦法を使う等)強国であるセルジューク朝は滅びました
セルジューク朝だけじゃなく、他にも色々な家が撤退を始めました(モンゴル帝国の戦略は味方に対しては寛容、敵に対しては容赦なし、つまりモンゴル帝国に逆らった自分たちは殺される危険があったからです)
その撤退の中に「オスマン家」がいました オスマン家は父(スレイマン=シャー)を大将に、アナトリア地方へ逃げました(今で言うトルコの中心)
オスマン家の逃亡
しかし、途中何を思ったかスレイマン=シャーは進路を変え行った道を戻ってしまいました
そのせいか、戻る途中でスレイマン=シャーは川に溺れ溺死してしまい ました
息子のエルトゥールルは「戻ったことによる神様の天罰」と思い、予定通りアナトリア地方へ行くことにしました
そして、そのアナトリア地方で落ち着くことにしました
オスマン家の旗揚げ
その頃のアナトリア半島は戦国時代の形相でした セルジューク朝が崩壊したことにより、そこを収める国がいなくなり、結果日本の戦国時代を彩るような形相になっていました
その戦国時代で(戦国時代とは呼ばれていませんが、分かりやすい表現としてそう呼びます)統一を図るべく、次々と色々な国が統一合戦をしました
その統一合戦にオスマン家もいました
そして、初代オスマン一世の手によりベイリクが創られました(ベイリク・・・朝貢国、一応は正統ではなく、国として認められていません)
これがオスマン帝国の始まりです
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まとめ
こんな感じでオスマン帝国が創られました
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