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ナポレオン絶頂時代を築いた、アウステルリッツ会戦

ナポレオン
最低最悪のフランスから見事に立て直し、ほとんどのヨーロッパを自国の有利な国に建て替えていった人ですが、その絶頂である状態の前哨戦とはどのようなものだったのか。
それが、アウステルリッツ会戦です。(別名:三帝会戦)
その会戦があまりにも美しかったので紹介したいと思います。


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1805年10月にオーストリアと会戦しました。(ウルムの戦)
結果はナポレオン側の圧勝。
しかし、ナポレオンもうかうかしていられなく、オーストリアをイタリア方面にくぎ付けにする必要があるためスペインから海軍が出撃しました。
イギリスがそうはさせじとネルソン提督が出撃しました。

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トルファルガーで海戦が起こります。
結果はナポレオン側の惨敗。
これで和平交渉も絶望的になり、もう一回オーストリアをたたく必要が出てきました。
とはいいつつも、首都ウィーンは手薄状態。
530㎞、首都を落とすため走り続けました。

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オーストリアの首都を落としたので得意満面と思いきや、彼の顔は冴えませんでした。
首都を落とすための犠牲がとてつもなく大きすぎました。
・とても速い行軍なため、兵が3/1に減少してしまった。
・残っている兵も疲れ切っている。
・そのうえ、フランツ1世を捕虜にできなかった。
対する、対仏同盟側では
・クトゥーゾフのもと、ウルムの戦の敗戦兵やらなんやらかき集め9万に達成。
・イタリア駐留墺軍が後ろから迫ってきて挟み撃ちになる。
と、このままではとてもまずいので、北のアウステルリッツ村に移動します。

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対仏同盟側もこれに呼応するように移動し、両軍はアウステルリッツ村で対峙します。
もちろん、これがあの有名なアウステルリッツ会戦の場所です。
このナポレオンの逃げた行為にロシア皇帝アレクサンドル1世はこう豪語します。

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アレクサンドル1世「なに、ナポレオンがアウステルリッツ村に逃げただと。これは勝ったも同然だな」

クトゥーゾフ将軍「ご事情ください、相手はあのナポレオンですよ」

アレクサンドル1世「なに、余に反対するのか。よろしい、更迭だ」

と、余裕状態のまま会戦に臨みます。
アレクサンドル1世はこのような作戦を取ります。

お

1,現在、フランス軍とロシア軍は高原を中心に対峙している状態。
2,まず、右翼軍がプランツエン高原を制圧。
3,その後、守りが手薄なフランス左翼軍に逆落としで威力をつけたまま攻撃し、補給を断つ。

という感じの作戦でした。
1805年12月2日、ロシア軍がプランツエン高原を制圧するべく攻撃しました。
重要拠点であるにもかかわらず、ナポレオン軍の抵抗はほとんどありませんでした。

そして、その日のままフランス左翼軍に攻撃。
これが崩壊したら一間の終わり。
ナポレオン手下「ロシア軍に攻撃され、左翼軍は崩壊の恐れあり」

ナポレオン「・・・・・・・・」

ナポレオン「スルト元帥、準備は整っているか?」

スルト元帥「いつでも大丈夫です」

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今まで、左翼軍の勢力を少なくしたのも、全部ナポレオンの作戦でした。
ロシア・オーストリアの集中攻撃にあい、猛攻にさらされていたダウー軍でしたが、
突如ロシア・オーストリア軍の後ろにスルト元帥の軍が現れ挟み撃ち状態になりました。
ロシア・オーストリア軍はなすすべもなく敗走し、南へ逃げます。
南には湖がありましたが凍っていたので歩くことが出来ました。

無題

戦意の無い敵を追撃するなど簡単ですが、もう逃げているので難しい。
この追撃がうまくいくかどうかで勝敗が決まりますが・・・
何とナポレオンはロシア・オーストリア連合軍が渡っている、凍っている湖に向けて大砲を発射します。
その大砲は空を向いていました。
空に向かって撃たれたので、その弾は自由落下し湖に直撃。
大砲の弾なので当然、湖の氷は割れていきます。

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氷が割れて、たちまち冷たい湖にロシア・オーストリア連合軍は飲み込まれていきます。
冷たいので体力を奪われて沈んでいきます。
その戦の結果は・・・

フランス
戦力

73,000人

被害

戦死1,305人
負傷6,940人
捕虜573人
軍旗1本喪失

ロシア
戦力

84,500人

被害

死傷者15,000人
捕虜20,000人
砲180門
軍旗50本喪失

ナポレオンの大勝利でした。
この戦のあとナポレオンはこう演説しています。

「兵士たちよ、私は諸君に満足している。

諸君は、アウステルリッツの戦いにおいて、私が諸君の勇敢にかけた期待を裏切らなかった。諸君は諸君の軍旗を不滅の栄光によって飾った。ロシア皇帝とオーストリア皇帝の指揮する10万の軍は、4時間足らずして、分断され四散させられた。諸君の砲火を免れた者も湖に溺れて死んだ。ロシアの近衛隊の40本の軍旗、120門の大砲、20人の将軍、3万以上の捕虜が、永久に栄光に輝くこの日の戦果である。諸君にはもはや恐れるべき敵はいない。

兵士たちよ、我々の祖国の幸福と繁栄のために必要なことがなされたときには、私は諸君をフランスへ帰すであろう。国民は諸君の帰還を喜ぶであろう。そして諸君は、「アウステルリッツの戦いに加わっていた」と言いさえすれば、こういう答えを受けるであろう。「ああ、この人は勇士だ!」と。」

変わってイギリスでは・・・

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今回の戦争の報告を聞かされた、イギリス首相、ピットは側にいた召使にこう言っています。
ピット「そこの君、そのヨーロッパ地図をしまってくれ。今後7年間使い物にならん」

ナポレオンのライバルだった、歴代最年少首相ピット。
最年少だけあって、素晴らしい慧眼の持ち主でしたが、この50日後死んでしまいました。
いよいよ、ナポレオン絶頂時代の幕開けです。

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この記事の引用元:世界史劇場 駆け抜けるナポレオン(作者 神野正史)発行:ベレ出版                            http://sekaisi.com/                             

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