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怪異実話(29) -生類の命を助けた人のこと-

#00313 2014.9.8

 昔、江戸で、ある盗人が人の家に忍び入り、土間の側で屈(かが)んでいたところ、奥の方より人の足音がして、そこに来る様子であったため、さらに身を縮めて隠れていました。
 その人は家の主人のようで、縄を持っていたため、盗人は「我が隠れているのを知って縛るつもりだろうか」と見ていたのですが、そうではなく、その縄を梁(はり)に掛けて首を括り、今にも死のうとする構えを見せたため、その盗人は見るに忍びず、「我は盗賊で、この家に忍び入った者だが、貴方はなぜ首を括って死のうとするのか」といいながら現れ出ました。
 主人がそれに答えて、「私は今、金三両が無くてはこの世に生きて行き難いことがあるため死のうと思う。構わずに捨て置いてくれ」といったところ、盗人は「早まりなさるな。我は盗み取った金を少々持っている。金三両を差し上げよう」といって懐から金を三両出して主人に与え、主人は甚(いた)く喜んで金を貰い、命は助かりました。
 その後、例の盗人はある所で召し捕らえられ、公儀のお糺(ただ)しに及び、それまでの身の凶状を白状したのですが、盗み取った金の内三両はその家に忍び入った時に今にも首を括ろうとしていた主人に与えたことを申し上げたところ、その家の主人も召し出され、それが事実であったことが判明し、盗人は命を救った陰徳によって死罪を免れ、遠い島に流されて命は助かったのでした。
 
 また昔、山蔭中納言という人が大宰大弐(大宰府の次官)に任命されて筑紫国に下った時、二歳になった子息を連れ立って船に乗り、海原を漕いでいたところ、その乳母がどうしたことか二歳の子を取り外して海中に落としてしまいました。
 中納言をはじめ人々は慌て騒ぎ、どうすることもできずにいたのですが、不思議なことにその二歳の子が沖の波の上に浮かんで流されずにいるのを見付け、人々が悦(よろこ)んで船を寄せて、よくよく見ると大亀の甲羅の上に乗っていました。かくしてその子を船の上に上げると、亀はその様子をじっと見つめており、中納言も不思議に思いながら、「汝の有り難い志は言葉にできない」と礼を述べると、亀は海に入って行きました。
 その夜、中納言の夢に例の亀が現れていうには、「この若君の母君がご宿願あらせられ、天王寺参りの時に、渡辺の橋の畔(ほとり)で鵜飼の者が一人、亀を捕らえて殺そうとした時、それをご覧になって哀れの心を発せられ、小袖との交換で亀を救い、川に放してやったのですが、その亀が即ち私です。そのお志の尊さを忘れ難く思い、折々お守り申し上げておりましたが、生死の習いの悲しさで、母君はこの若君を産まれて計らずも昨年お亡くなりになりました。その後は若君をお守りしておりましたが、筑紫へお下向とのことで、それまではと思い、お船に添っておりました。そうしたところ、継母と乳母が心を合わせ、秘かに謀って若君を海に沈めましたので、私が甲羅の上に背負って助け奉り、昔の母君のご恩に報い奉ったのです」とのことでした。
 
 また昔、唐土(もろこし)に楊宝という人がおり、華陽山に行った時に傷ついた黄雀(子雀)が一羽、木の下に落ち、蟻のために苦しんでいるのを見付けて、哀れに思って家へ持ち帰り、櫛箱の中に置いて黄花を餌にして飼い、百日ほど養ったところ、羽毛も元のように生えて、その黄雀は飛び去りました。
 その夜、楊宝の夢に黄衣を着た童子が現れていうには、「私は君に助けられた黄雀で、西王母の使いの者です。君の情けに愛(め)でて、その礼をするために来ました」とのことで、白環(はっかん、白色の玉の輪のことで『後漢書』に「王母の白環を受く」とあります)四枚を与え、「君の子孫はこの輪のように高い位に昇って家は富み栄えるでしょう」といって去りました。
 かくして楊宝は隠居して学問を教え、公儀より召されたのですが固辞しました。果たしてその人の子で震という人は大尉の官に昇り、それより孫、曾孫、玄孫まで四代続いて大尉の官となり、家も富み栄えたそうであります。
 
(清風道人云、生類の殺生は大罪ですが、逆に人間を始め有情のものの命を救うことは大いなる積徳であることが分かります。 #0256【『幽界物語』の研究(26) -積徳について-】>> #0270【『幽界物語』の研究(40) -現界の罪-】>>
 また、楊宝に助けられた黄雀が実は西王母の使者であったことから、神々は人間を試み給うために、時として動物を使役されることが窺われます。 #0267【『幽界物語』の研究(37) -現界の生類-】>> )

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