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『仙境異聞』の研究(22) -穢火は魂をも穢す-

#00157 2012.2.23

平田先生「天狗が火災を起こすという話があるが、お前の師も火事を起こすことがあるのか。」
寅吉「あります。師と共に大空の寒い所を通る時に、寒ければこの先に火に当たれる所があるといわれ、その所に至り、わずか煙管(きせる)の火皿の火ほどを空より落としたところ、家一軒、また二、三軒、十軒、あるいは一村を焼くほどの火災が起こりました。その時に空中で、さあ火にあたれと云われて当たるのです。
 焼く家や場所は皆心が善くない人の家か、または穢れた家や場所などで、心に適わない所を焼くのです。まして神は神木を切ることを嫌われますので、社の木を使って建てたものは必ず一度は焼かれます。」
平田先生「その火はどこからどのようにして出すのか。火打ちや火縄などを用いるのか。」
寅吉「火打ちや火縄を用いるようなことはありません。胸や脇下など、身体中のどこからでも出せます。総じて身体には火が満ちているため、そのことに通じていれば、体内のどこからでも取り出すことができます。」
平田先生「山人や天狗の類には正邪強弱様々あるが、共に世の悪行不浄の罰を与えるものであるということは本当か。」
寅吉「その通りです。師が身の内から火を出して家などを焼くのも罰を与えているのです。」
平田先生「そのように罰を与えるは、どのような命令によって行うのか。」
寅吉「どのような命令かは知りませんが、恐らく神々の命令を伝え聞いて行うのでしょう。」
 
 日本古学の五元の説によると、人間が生きている間の事実は、土と水の質から成る肉体に風と火の性を備えた霊魂が宿り、そして金に属する骨で締め固めて活動しているとされていますが、「総じて人の身体には火が満ちているため、そのことに通じていれば、体内のどこからでも取り出すことができます」というのは、山人や天狗は粗雑で重濁な人間の肉体に比べて清陽精微な霊胎を備えており、火と同質である魂の霊徳が自由自在のためと考えられます。 #0002【森羅万象を説く「五元」の説】>>
 
 また、神伝には、天照大御神が天石屋(あめのいわや)に身を隠したことによって高天原(太陽神界)が暗黒となり、大国主神の和魂神である大物主神は海原を照らしながら依り来(きた)り、事代主神が飛び去った時は御身の光が二丘二谷の間に渡ったとされているように、神仙界の高貴な神々が神体より大光明を発することが伝承されています。 #0078【天石屋隠れ -三種の神器の起源-】>> #0118【大国主神の幸魂奇魂】>> #0128【罪を憎んで人を憎まず】>>
 これらのことから考えても、人間以上の清陽精微な霊胎をそなえた山人たちが光明を発することも容易に推量され、稀に目撃される未確認の飛行光体の正体も推測することができます。 #0152【『仙境異聞』の研究(17) -山人の飛行法-】>>
 
平田先生「そちらの界でも穢れた火を知ることはできるのか。」
寅吉「十分に知ることができます。」
平田先生「どのようにして知るのか。」
寅吉「置き火でも灯火でも、共に穢れた火は色が黒っぽくて勢いがなく、また燃え立つ様子も荒く、飛び跳ねたりもします。ローソクの火は障子越しに見ればとくによくわかります。
 
 神道では穢れのある人が点火した火や獣肉類などを焼いた火を穢火(けがれび)として忌みますが、日本古学によると火(ヒ)・日(ヒ)・霊(ヒ)は同言同義で本来同質のものとされ、火気(ほのけ)の穢れは体中の日気(陽気)にも感染して心身が陰気に覆われることとなり、さらに霊気の穢れとなって霊魂をも穢すことになるとされています。 #0004【わたしたちの生命は太陽と同質?】>>
 
平田先生「山人や天狗などの仙境に女人はいないのか。」
寅吉「他の山は知りませんが、岩間山や筑波山などは女人禁断の山であるため、決して女はいません。女の穢れに触れた人が登山すると、怪我をさせたり突き落としたりもします。」
平田先生「そのようなことは師が自らされるのか。お前などもするのか。」
寅吉「師が自ら手を下されることもありますが、多くは属(つ)き従う者どもが師命を受けて、遠くから足を上げて蹴る格好をし、また手を伸ばして突き落とす格好をすれば、倒れたり落ちたりします。」
 
 神道では穢れを嫌い、常に清浄であることを心掛け、月界(黄泉国)と通じ合う女性の月の穢れなどを忌みますが、山人界においては、それがさらに大きな影響を与えるようで、人間界以上に穢れを忌むことがわかります。

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