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『異境備忘録』の研究(19) -宇宙間飛行-

#00334 2015.1.14

「古鷲に乗りて杉山、大山二僧正の先に立ちて行く時、風なくして息の出来難き空に至る時は、鷲の翼の両脇より風吹き来るなり。これには術ある事にて、それはある年三月三日の朝、杉山僧正の古鏡を八面榊の枝に掛けて伊邪那岐尊、伊邪那美尊を祭りてありける時に、酒豆腐の饗応(きょうおう)にあひたる時、明日は月界に伴ひ行くなり。その行く時の法は秘してありしが、人間(じんかん)より七、八歳の時に来りたる高山寅吉に空中の絶気の所を通るを近年教へたり。川丹先生等の空行せらるゝ時はその術は用ひ給はざれども、早馳神(はやちのかみ)とて風神の御使の霊の常に添ひたれば、術は用ゐずして息も自然に出来るなり。我が界にては人を伴ふ時はその人を鷲に背負はせて翼の左右の脇に挟(はさま)せ結び置く物あり。見置き候(そうら)へ。寅吉よ、かの用意をなし置けと云ふければ、寅吉立ちて、岩間の小さき淵を節をくりたる竹もて探りければ泡立ち上る。
 その泡を白く薄黒き袋に取り入れければ、自然とその袋大きくなりければ、又竹を入れて、火雷神(ほのいかづちのかみ)と唱ふれば、水面へ火の如き烟(けむり)立ち上る。又その袋に入れて口を閉めたり。寅吉に、我にその袋を見せよと云へば、この袋を術なくして持つ時は袋に引き上げられ絶気の天までは自ずから上らるゝなり。手を放せば空に飛ぶ。貴殿には渡すまじとて渡さゞりけり。
 翌日伴はれ行きし事、又かの器の絶気の所にて使ふ法は覚へたれども、この界の秘法なれば洩らしつ。」(『異境備忘録』)
 
 神仙道において胎息法や導引法は基本中の基本で、これらの法を修することによって感念の凝結が行われるに至るのですが、呼吸が風神の霊徳によるものであることを再考すれば、風神の御使の霊が常に添い給うことによって絶気の所でも息が出来ることについては臍落ちするはずです。 #0227【『異境備忘録』の研究(6) -霊胎凝結の道-】>>
 
「明治八年六月二十六日夜、清定君に伴はれて月界に赴く時、その夜曇りて月笠を掩(おお)ふ。登天する事半時ばかりにして月界と地球と両気の境に至るに、清定君曰く、この境より月界の方へ一里ばかり行きて紙を飛せば月界に着くなり。又、地球の方へ一里ばかり寄りて放てば地球に落るなりと云はれたり。
 漸く月界の近くに至るに、寒気強くして月界に入る事を得ず。二里ばかりにして見るに大山、大木あり。最も大山は三山にして高さ二十里ばかりと思ふに、山に二つの穴あり。この穴より他星ほのかに見ゆ。」(『幽界記』)
「日月の界には入り難し。されど近くより見たりし事あり。川丹先生に伴はれて日界に近付くに、暖冷の所を幾重ともなく過ぎ行くほどに、火気身を焼くが如き所あり。こゝを過ぎる事暫しにして日界を下に見るなり。それより下るに四、五月頃の気ある所あり。又、そこを過ぎれば日界は黄色に見えて、三ヶ所噴火山と見ゆる所あり。その傍(そば)に黒色なる三ヶ所あり。その四方に城閣の如くなる物数十あり。委しくは分らず。
 又、或る日伴はれて月界に近付く。暖気なる所を過ぎれば又寒気甚(はなは)だしき所あり。こゝを又過ぎて遥かに月界を臨めば白き山に似たる物数々あり。その中には黒色の物打ち交りて見え、且つ滝の如くなる物の大小ともに四つ光を発して四方に散乱し、水玉の如き物数々飛び上りたる如く見え、能々(よくよく)見れば人家の如くなる物数多(あまた)見えたり。先生の云ふ、こゝよりよく見て覚え置くべし。常には来り見る事難し。天狗界の者はこゝまで近くは来る事なき故に種々見違へるなりと宣(のたま)ひける。」(『異境備忘録』)
 
 『仙境異聞』にも高山寅吉が杉山僧正に伴われて太陽及び月に近付いて見た様子が記されていますが、「日月の界には入り難し」とあるように、水位先生ほどの真人(しんじん)でも太陽神界(高天原)及び月界(黄泉国の本府)への出入りは許されなかったようで、また太陽神界については『幽界物語』で清浄利仙君が簡単に言及されていますが、これらの界の実相については『古事記』『日本書紀』に著わされた以上のことは人間界へ漏らしてはならない厳律が存するものと思われます。
(月に穴があり、その穴から星が見えることについては寅吉も同様のことを述べています。 #0152【『仙境異聞』の研究(17) -山人の飛行法-】>> )
 
「太白星(たいはくせい)は万星よりは近く見え、この星の近付くに随ひて、紅蜺(こうげい)の如き色に見ゆるが中に小星二つ見え、又近くより見れば大空より地球を見るが如くなりて、寒気身を刺してこゝより至る事難し。こゝより地球を見れば又太白星の如くキラキラと光りあるなり。」(『異境備忘録』)
 
 「太白星」は金星の異称で、太陽系内では大きさと平均密度が最も地球に似た惑星とされていますが、地表から125キロメートル付近は-175℃の極低温地帯であることが現在の天文学で明らかになっています。
 水位先生はしかるべき神仙に伴われて成層圏を遥かに超え、宇宙間をも飛行されたのですが、これらの神仙が熟知して飛行し給う気道は宇宙間にも存していることが窺われます。 #0332【『異境備忘録』の研究(17) -水位先生の幽顕往来-】>>
 
「明治十年二月二十九日夜、小童君に伴はれて天関星に至る(これは北極の天関とは別なり)。この国、天一始神(てんいつししん)の分殿ありて、大永宮よりの指揮によりて、神集岳の神仙出仕せり。この時、玄台山の書肆(しょし)にて神書仙経、数多閲せり。」(『幽界記』)
 
 藤原定家の『明月記』に、「後冷泉院天喜二年四月中旬以後の丑の時、客星觜・参の度に出づ。東方に見(あら)わる。天関星に孛(はい)す。大きさ歳星の如し」とありますが、この「天関星」とは現在の天文学で1054年おうし座超新星、別称「かに超新星」と呼ばれる星で、当時世界各地で広範囲に観測され、中国や日本、中東等では二十三日間に亘って日中でも見えるほどに輝いたことが記録されています。
 
 さらに水位先生は天関星だけでなく、遥か北極星や南極星にも往来されたことが記されていますが、北極紫微宮に往還された時は文字通り天文学的な想像を絶する距離を僅か二時間ほどの飛行で到達されており、これは人間の想像を絶する光速を遥かに超える速度で飛行したことを意味し、「神仙の道を修し得れば万里の遠きをも一瞬の間に往来」という先生の言葉はこうした実体験に基づくものでしょう。
 宇宙大元霊の造化の大神業を分任される神仙達は、その階級と分掌の任務を遂行されるに相応した通力が具備されており、時に臨み、機に応じて、地球上であろうと宇宙間であろうと、どのようにでも神速を発揮されるものと拝察されます。

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