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戸籍時報連載『旧市区町村を訪ねて』12「自然災害の自分事化」熊本県阿蘇郡南阿蘇村〜長陽村〜(文・写真:仁科勝介)

こんにちは。コンテンツビジネス推進部のMです。弊社刊行「戸籍時報」との好評連動企画、「旧市区町村を訪ねて」。
いつもたくさんの「スキ」をありがとうございます💛
今回は、令和6年4月号掲載の第12回。熊本県の阿蘇郡が舞台です。2016年の熊本県地震による被害やその復興の様子を目の前にされ、自然災害を自分の事としてとらえることとは、という大切な問いかけも胸に迫る記事です。
いつものとおり、仁科さんの素敵なお写真をここではカラーでご紹介しています。
今後の連載も、ぜひお楽しみに!

~~本連載の著者は、写真家の仁科勝介さん。2018年3月から2020年1月にかけて、全国1741の市区町村を巡った彼が、2023年4月から再び、愛車のスーパーカブで日本中を旅しています。
 今回の旅のテーマは、1999年に始まった平成の大合併前の旧市区町村を巡ること。いま一つのまちになっているところに、もともとは別の文化や暮らしがあった。いまも残る旧市区町村のよさや面影を探します。
 仁科さんの写真と言葉から、今そこにある暮らしに少し触れてもらえたら嬉しいなと思います。~~

『自然災害の自分事化』

阿蘇へ訪れると,誰しもが壮大な阿蘇カルデラを体感することができる。特に草千里くさせんり)や大観峰(だいかんぽう)といった景色は有名で,春夏秋冬いつ訪れても美しい景色に出会えることが阿蘇の魅力だ。

 西から阿蘇方面へ訪れるとき,いくつかのルートはあるものの,できるだけ平坦な道で進もうと思えば,下道の国道57号線を通ることになる(大津町からは並行して国道57号北側復旧道路が通っているが,自動車専用道路のためスーパーカブは通行できない)。国道57号線は阿蘇外輪山の隙間を通っているので,険しい山道を進まずとも,阿蘇に入ることができるのだ。

 そして,国道57号線で大津町を抜けると,南阿蘇村の旧長陽村に入る。そのまま57号線を進み,「旧阿蘇大橋遺構」に立ち寄った。2016年4月16日1時25分,熊本地震本震の発生による大崩壊によって,阿蘇大橋は橋台を残して立野峡谷へと落橋してしまった。その橋桁の一部が,今も残されている。知人に教えてもらって立ち寄ったのだが,地震の衝撃が生々しく伝わってきた。

 また,そこから肉眼でも見える距離に,2021年3月7日に開通した新阿蘇大橋がある。太くて高い橋脚が,朝の静かな気配の中で浮かび上がっていた。熊本地震から約5年の歳月を経て開通した新阿蘇大橋は,復興のシンボルとしてたくさんの人々の思いを運んでいるように見えた。

誰かに話すわけではなくとも,震災を経て抱いた地元の方々の思いを,常に橋が受け止めているように。

▲ 朝の新阿蘇大橋は山の中で浮かび上がって見えた。

さらに,国道57号線の左手には山肌が露わになった景色が見える。一瞬,阿蘇らしい綺麗な景色だと思ったら,それは「数鹿流(すがる)崩れ」と呼ばれる熊本地震最大級の斜面崩壊があった場所だと知った。高い技術を駆使して復旧・復興工事が行われたことも解説パネルで紹介されており,自然と向き合いながら生きる人間の力にも驚かされた。

 その後,「熊本地震震災ミュージアムKIOKU」を訪れた。震災の映像を見て,さまざまな感情が渦巻く。言わずもがな令和6年1月1日の能登半島地震のことも考えた。熊本地震は2016年4月のことであり,今からたった8年前の話だ。東日本大震災もまだ13年前のこと。こうした短い期間に,大きな自然災害は次々と発生している。これらの災害の度合比較が重要なのではない。ミュージアムの展示の後半では『あなたは自然災害を自分事化していますか?』とまとめられていた。まさしく今,自然災害に対する自分事化が,切に問われているような気がしてならなかった。

(かつお╱Katsusuke Nishina)


仁科勝介(にしなかつすけ)
写真家。1996年岡山県生まれ、広島大学経済学部卒。
2018年3月に市町村一周の旅を始め、
2020年1月に全1741の市町村巡りを達成。
2023年春より旧市町村を周る旅に出る。
HP https://katsusukenishina.com/
X(旧Twitter)/Instagram @katsuo247


本内容は、月刊『戸籍時報』令和6年4月号 vol.851に掲載されたものです。



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