「なめられる」教師の必要性:その2

前回の「『なめられる』教師の必要性」という記事の続きです。

「なめられる」教師像

「なめられる」教師の最大の強みは、「生徒の本音を聞き取り生徒の生活現実に直接触れることができる」(田中 2016: 67)ことである。その強みは、自身の存在要求・発達要求をトラブルや問題行動という形で表に出す生徒に対して特に有効なものである。表に現れている行動について、発達過程における環境に原因があると考えることで、抑圧するのではなく、その行動をきっかけに子どもたちの懐に入っていくのである。

しかし、そのような行動が表に現れない子どもたちは、その教師の対応についてどう考えるであろうか。もしかすると、「自分は我慢して真面目に授業を受けているのに、あの生徒は授業をさぼっていて、しかもそれを厳しく咎められていないのはずるい」と感じる生徒もいるかもしれない。あるいは、そのような思いから、問題行動が当初の生徒からさらに広がっていき、収拾がつかなくなるということも考えられる。

自身が「なめられる」教師である伊藤(2016)は、初回の授業で生徒Aに暴言を吐かれた際、「このまま流してしまったら、クラス全員からこの教師は何も注意しない人だと認識されてしまう」と考え、「『言いたいことがあるなら後で私のところに直接来なさい。授業という全員の時間を使ってそういう発言をしないこと』とAに注意」した。するとAは「一応私語はやめたが反省している様子は見られなかった」。そして、「その後の授業では初回のような発言は見られなかったが、私語が多かったり、授業がつまらないときは読書をするなどの行動は続いた」。このような問題行動がAからさらに広まることはなかったから良いものの、実際はそのような危険性を十分に孕んでいるのが「なめられる」教師の実践であると思う。

このような課題を克服するには、なめる態度を取っていない生徒に対しても、教師側からアプローチして信頼関係を作りにいくことで、問題行動が広がるのを防げると考える。

 「なめられる」教師と聞き上手な教師

問題行動を起こさない生徒にも何かしら悩みがあるかもしれないと、常にアンテナを張っておくことも重要である。竹内(1987: 12-28)で挙げられている「博」は、母親と共依存の関係にあり、その見捨てられ不安から期待に応えようとしていた。それを学校での教師との関係の中にも持ち込み、博は教師の気持ちを先読みして良い子になろうとしていたのであった。このことに教師が気づけたのは、子どもを教師との関係の中だけで一面的に捉えるのではなく、保護者との関係にも考えを至らせ、また、他の子どもたちとの関係にも目を向けたがためである。特に、他の子どもたちから博に対しての不満を聞けたことで問題を発見できたのが、この実践がうまくいった要因であろう。このような気づきを元に、教師は子どもから話を聞きながら、子どもとの関係性を変えていく必要がある

竹内(1987: 27)は「近年の教師の傾向」について、「子どもからじっくり話を聞く教師が少なくなって」おり、「教師にとって都合のいい関係性のなかに子どもを閉じこめようとするものが多くなっているのかもしれない」とする。そのうえで、「教師は、話し上手であるだけではなく、聞き上手にもならなければならないのである。いま、子どもは聞き上手な教師をもとめているのではないだろうか」と述べている。執筆時の1987年からはかなり時間が経ったが、現代にも言えることなのではないだろうか。

この「聞き上手な教師」とは、まさに田中(2016)の言う「なめられる」教師と密接な関連を持つと考えられる。「なめられる」教師は子どもたちの関係性の中に入っていくことができ、さらに家庭環境などの子どもたちの抱えている悩みを聞き出すことが可能である。さらに、なめた態度を取ってこない生徒に対しても、その子どもたちの関係性の中に入ってアプローチしていけるのが「聞き上手な教師」であろう。

生徒によっては、その性格などから、何かしら問題を抱えていてもそれを表に出しにくいというケースもあるだろう。このようなケースにおいては、単に「なめられる教師」というだけではその生徒の抱える問題に寄り添えない。そのような、悩みを人知れず抱えているような生徒に対応するには、「聞き上手な教師」となって、教師側から信頼関係を作りにいく必要があると考える。


以上の議論は、実際に現場で行うとなると難しい点も非常に多いと思われる。現代に求められる「『なめられる』教師」とは、ただ生徒たちからなめられている教師、というわけではない。そこが「『なめられる』教師」と「なめられる教師」の違いなのであり、生徒になめられることは「『なめられる』教師」への第一歩にすぎず、そこからいかに「生徒の生活現実」に迫れるかが重要なのだろう。


参考文献

伊藤葉子(2016)「『なめられる』教師として学んだこと」『高校生活指導』201: 74-79.
竹内常一(1987)『学級集団づくりのための12章』, 現代教育問題シリーズ18. 東京: 日本標準.
田中幸恵(2016)「『なめられる』教師が教育の新たな地平をひらく」『高校生活指導』201: 66-73.

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