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コルベじいさんとクロウタドリのうた

春になって、また未明からクロウタドリの声が聞こえるようになってきました。
名前の通り、とてもいい声でさえずり、まるでお話しているようです。
みなさんには、なんといっているように聞こえますか。




コルベじいさんは99才。
子どもや孫たちはちょっと遠くに住んでいて、じいさんは一人で暮らしています。
一人で住んでいるせいか、じいさんは独り言、しかも不平や嘆きが多いんです。
それを聞いているのは、じいさんの家の広い庭の木に集まる鳥たちだけ。
黒い体に白い腹のカササギ(Elster)。
赤いしっぽのシロビタイジョウビタキ(Rotschwänzchen)。
小さな、小さなヒガラ(Tannenmeise)。
そして、とってもいい声で鳴くクロウタドリ(Amsel)。
クロウタドリは生垣にしているヘーゼルナッツの中に巣を作っていて、よく芝生の上でエサ探しをしています。
だから、コルベじいさんの嘆きを一番聞いているかもしれません。


ある日、コルベじいさんはパンを買ってきました。
玄関の靴箱の上において、靴を脱ぎました。
「まったくもう! ああ、なんでこの靴の紐はかたいんだ!
こうかたくっちゃ、紐をほどくのも一苦労じゃないか!」
そして、そのままパンを忘れて、部屋に入ってしまいました。

数日後、コルベじいさんがパンを見つけたときには、すっかり硬くなってしまい、食べられなくなってしまっていました。
「まったくもう! なんで誰もここにパンを忘れてるって言ってくれないんだ!
こんなに硬くっちゃ、鳥にでもやるほかないじゃないか!」
そういって、じいさんはパンを庭に放り投げました。

喜んだのは鳥たちです。
まだ春は浅く、木の実はないし、虫は少ないし、花のまだ固い蕾くらいしか食べるものがありませんでしたから。
クロウタドリたちはこれから卵を産むための巣作りをするために、たくさん食べて張り切りました。


ある日、コルベじいさんはスープを作って、食べました。
「まったくもう! 熱い! こんなに熱くっちゃ食べられないじゃないか!」
そこにクロウタドリの声が聞こえてきました。
その声は、こういっているようでした。
「ふうふうして! ふうふうして!」

じいさんは、お母さんがよく
「ふうふうして食べなさい。誰も取らないから、ゆっくりお食べなさい。」
と言っていたのを思い出しました。
自分がまだ幼稚園の子どもだったころ・・・

コルベじいさんにも小さな子どもだったころがあるんですよ。
子どものころは、いつも元気に外を走り回っていました。
暑くても、寒くても、雪の日だってへっちゃらでした。
そして、空を見上げて雲の形を観察したり、木に葉っぱが何枚ついているか数えたり、道端に落ちている石をたくさん拾って、ポケットをいっぱいにしてたものでした。
お母さんは、
「あらあら、また随分ポケットを膨らませて帰ってきたのね!」
と子どものコルベちゃんの頬にキスをしました。

じいさんは、窓から空を見上げました。
雲の形を見て、
「くじらかな、いや、船だな・・・」
とあれこれ考え、ふうふうしながらいい気持ちでスープを食べました。


ある日、コルベじいさんは朝ベッドから出ようとしたときに、膝が痛みました。
「まったくもう! この膝ときたら!
こんなに痛くっちゃ歩けないじゃないか。」
そこにクロウタドリの声が聞こえてきました。
その声は、こういっているようでした。
「ゆっくり! ゆっくり!」

じいさんは、転んで怪我をしたとき、お父さんがよく
「痛いの、とんでいけー。もう転ぶなよ。
ゆっくり、な! 転んだら、消毒だぞ!」
と言っていたのを思い出しました。
この消毒液が染みるのなんのって!
だから、コルベじいさんはそのあとは怪我をしないように気をつけたものでした。
自分がまだ少年だったころ・・・

コルベじいさんにも少年だったころがあるんですよ。
少年のころは、いつも絵を描いていました。
コルベ少年には紙の上に線が見えたので、それをなぞるだけだったのです。
ここに船が見える、ここに海賊がいる、これは波だ、と。
すると、海賊船が別の船に大砲を撃つのが見えます。
コルベ少年は慌てて、大砲を描き入れます。
大砲が船に当たるのが見えます。
今度は、船の一部を大急ぎで消して、大砲が当たるところを描きました。
こんな具合に何時間でも、何日でも絵を描いていたものでした。
大きくなったら、アニメを作りたいと思っていました。

じいさんは、ベッドの上からデスクのメモ用紙を眺めました。
紙の上に道が見えてきました。
道の先には山があって、車やトラックやバイクがそちらを目がけて走っています。
いえ、山ではありません。
大きな街のようです。高いビルがたくさんあります。

「痛いの、とんでいけ! さあ、ゆっくり、だ。
怪我したら、消毒だからな」
と自分の膝を励まし、ゆっくり立ち上がると、着替えもせずにデスクに着きました。
そして、夢中で絵を描き始めました。
もう膝の痛みは感じませんでした。


ある日、コルベじいさんは探し物をしていました。
「まったくもう! 一体だれが片づけたんだ!
どこに何があるか分からないじゃないか!」
そこにクロウタドリの声が聞こえてきました。
その声は、こういっているようでした。
「進もう! 進もう!」

じいさんは、仲間がよく
「先に進もう!」
と言っていたのを思い出しました。
自分がまだ青年だったころ・・・

コルベじいさんにも青年だったころがあるんですよ。
青年のころは、いつもバイクに乗っていました。
休みのたびにぴかぴかのバイクで仲間たちと世界中を旅したのです。

風の日も雨の日も走り続けて、疲れたらキャンプをしました。
また、そろそろ休憩しようとレストランを探し始めると、決まって見つかりませんでした。
ようやく小さな食堂を見つけたときには、みんなもうへとへと。
そして、お腹いっぱい元気いっぱいになってまた走り始めると、いろいろなレストランが山ほど見えてきたものでした。
どんなにくたびれても笑い合える仲間がいればへっちゃらでした。
そして、コルベ青年は旅先の町ですてきな娘さんと恋に落ちて、この家に家庭を築くことになったのです。

コルベじいさんは、考えました。
これはあの法則に似ている、と。
一生懸命探しているときは見つからないものなのです。
なので、じいさんは先に休憩をすることにしました。
お茶を入れて、昔のアルバムを引っ張りだしてきました。
海とバイクとコルベ青年の写真、キャンプファイヤーと仲間の写真、田舎町で立ち寄った食堂で知り合った人たちの写真、どこまでも続く一本道で野生のトナカイを見つけたときの写真・・・
充分休んだあと、じいさんは言いました。
「さあ、出発だ! 進もう! 探そう!」
探し物は見つかったかって。
はい、さっき探したはずのところにちゃんとありましたよ!


ある夜、コルベじいさんは全然眠りにつけませんでした。
心なしか窓の外の夜空が白んできたような気がします。
「まったくもう! 全然眠れないじゃないか!」
そこにクロウタドリの声が聞こえてきました。
その声は、こういっているようでした。
「しー! しー!」

じいさんは、赤ちゃんだった娘を寝かすのに、自分がよく
「しー、そうっと、そーっと、しー・・・」
と言っていたのを思い出しました。
自分がまだ新米父さんだったころ・・・

コルベじいさんにも新米の父さんだったころがあるんですよ。
新米父さんだったころ、どんなに疲れていても、赤ちゃんの顔を見ればいつも元気が出ました。
この子のために頑張ろうと思えたものでした。
赤ちゃんは眠いのならすぐ寝ればいいのに、ぐずぐずすることがありました。
あるとき、コルベパパさんは目をつぶるようにさせればいいんじゃないかと思い、おでこから目をそうっと撫でました。
赤ちゃんは目を瞑りましたが、また開けます。
コルベパパさんは何度も瞼が明かなくなるまで、そうっと撫で続けました。
指1本で触れるか触れないかというくらいそうっと、眉間から鼻に指を滑らせるころには、赤ちゃんは寝息を立てていました。
この作戦は次の子が生まれてからも使えました!

コルベじいさんは、自分の手を額に当てて、そっと滑らせてみました。
今度赤ちゃんが生まれる孫に、この技を教えてあげようと思いながら、何度もそっと撫で続けました。
ああ、今度あの孫が来たら、昔みんなよくしたカードゲームを教えてあげよう、そうだ、あの娘が電話してきたら、あの話をしないと・・・
「そーっと、しー、しー…」
じいさんは、いつの間にか眠っていました。


ある木曜日、コルベじいさんは買い物に行くことにしました。
じいさんの住む村には、木曜日に小さな市場が出ます。
じゃがいも屋さんがチリンチリンと鐘を鳴らして、通り過ぎるので、市の立つ日だと分かるのです。
でも、野菜とチーズは市場に、パンやパン屋に、ハムとサラミは肉屋に行かなければなりません。
「まったくもう! なんで1つのところに店が並んでいないんだ!
あっちにもこっちにも行かないとならないじゃないか!」
そこにクロウタドリの声が聞こえてきました。
その声は、こういっているようでした。
「行ってらっしゃい! 行ってらっしゃい!」

じいさんは、死んだばあさんがよく
「行ってらっしゃい!」
と言っていたのを思い出しました。
自分がまだ会社に行っていたとき、子どもたちが学校に行くとき、毎朝窓から手を振って、「行ってらっしゃい」と。
毎日通勤していた会社員だったころ・・・

コルベじいさんにも会社員だったころがあるんですよ。
びしっとスーツを着て、ネクタイをしめて、かっこいいアタッシュケースを持って電車に乗っていました。
昼休みは同僚たちとランチを食べに行ったものでした。
大変だったことも山ほどありました。
でも、プロジェクトが終わったときの達成感、金曜日のわくわく感、どれも今は懐かしく思い出されます。

「仕事があるから、週末がうれしかったんだなあ。」
毎日がお休みの今、週末のありがたみはもうありません。
「努力していたから、満たされていたんだなあ。」
じいさんは、もうあまり手入れをしていない庭の片隅の畑を見て、ちょっと足を延ばして、雑貨屋まで行き、野菜の種も買ってこようと思いました。
毎日水をやって、手入れをして、実がなるものがほしいと思ったのです。

「行ってくるよ。」
とじいさんは、クロウタドリたちに声をかけました。
市場までの道すがら、水仙が咲いているのを見つけました。
パン屋では、自分の好きなルバーブのケーキがもう並んでいるのを見つけました。
次の角を曲がると、素敵なクラッシックカーが停めてあるのを見つけました。
肉屋では、おかみさんがハムを1枚おまけしてくれました。
雑貨屋までの道では、子どもたちが楽しそうに話しながら歩いているのを見ました。
雑貨屋では、野菜の種と、新しくメモの書けるカレンダーを買いました。
雑貨屋のおじさんが、
「種は数日前に水につけておくといいですよ」
と教えてくれました。

家に帰って、カレンダーを壁にかけると、じいさんは
「明日は金曜日だ!」
と言いました。
週末はお休みですから、明日のうちに畑の草むしりをしようと決め、「草むしり」と書き込みました。
月曜日は「畑をたがやす」、火曜日は「種まきの準備」、水曜日は「絵を描く」、木曜日は「買い物」、金曜日は「種まき」。
週末はゆっくり料理でもしようか、それともレストランに行こうか・・・

庭からはまだ
「行ってらっしゃい、がんばって!」
と鳴く、クロウタドリの声が聞こえてきます。
そういえば、子どもたちがこの家から巣立っていったとき、ばあさんはやっぱり、
「行ってらっしゃい。」
と言って送り出したのを思い出しました。
だから、たまに子どもたちがやってきても、必ず
「ただいま」
と言っていました。
ばあさんが亡くなってから、子どもたちの足も遠のいてしまったような気がします。
「ただいま」と最後に聞いたのはいつだったでしょうか。
じいさんはちょっと考え、カレンダーの明後日のところに「子どもたちに電話」と書きました。


ある日、コルベじいさんは料理をしました。
でも、じゃがいもを茹でる時間をまちがえて、ちょっと固くなってしまいました。
「まったくもう! こんな固いじゃがいもじゃ食べられないじゃないか!
まるで、死んだばあさんがゆでたみたいだ!」
そこにクロウタドリの声が聞こえてきました。
その声は、こういっているようでした。
「大丈夫! 大丈夫!」

じいさんは、子どもたちがよく
「大丈夫だよ。食べられるよ」
と言っていたのを思い出しました。
ばあさんがまだ生きていたころ・・・

コルベじいさんも家族と暮らしていたころがあるんですよ。
そのころは、いつもばあさんが料理をしてました。
でも、このばあさんと言ったらどじで、せっかちで!
塩を入れすぎたり、砂糖を入れなさすぎたり、スパゲッティも野菜もじゃがいもも、固いときがありました。
ばあさんは決まって
「ごめんね、ちょっと固かったかな」
「ごめんね、ちょっとしょっぱかったかな」
「ごめんね、ちょっと焦げちゃった」
と言いました。
じいさんは口をへの字にして、「ちょっとじゃない!」と思っていましたが、子どもたちがいつも、
「大丈夫だよ。食べられるよ」
と先に言ってしまうので、それ以上文句が言えませんでした。

ばあさんが死んだ日、これであのひどい料理を二度と食べなくても済むと思ったのに、今日は自分で作った料理で、あの味を思い出した!
「まったくもう!」
と言いかけて、
「大丈夫? 食べられる?」
と言ってみました。
食べられるか食べられないかと言えば、まあ食べられないことはありません。
大丈夫か大丈夫じゃないかというと、まあ、大丈夫なのかもしれません。

「大丈夫、食べられるよ」
と言ってみました。
作った自分がちょっと慰められたような気がして、はっとしました。
食べた自分が怒っていたので、作った自分はちょっと傷ついていたことに気がついたのです。

子どもたちは、ばあさんの「ちょっと・・・かな」という質問に、ただ答えていたのではなく、悪いなあと思っているばあさんを慰めていたのでしょう。
子どもたちが何か失敗したとき、ばあさんも必ず
「大丈夫だよ! 次はうまくいくよ」
と言って励ましていたものでした。
そして、不平を言うじいさんにも・・・

じいさんは、もう一度はっきりと、
「ちょっと、じゃがいもが固いけど、大丈夫、食べられるよ」
と言いました。
「大丈夫、大丈夫」
という声がクロウタドリの声が、ばあさんの声に聞えてきました。
「そうだな、大丈夫だな。でも、お前がいなくてさみしいよ」
コルベじいさんは答えました。


ジリリリリ!
コルベじいさんの家のベルが鳴りましたよ。
今日は子どもと孫たちが、遠くからじいさんの誕生日のために来てくれたのです。

「まったくもう! なんでこんなに・・・」
じいさんは言いかけて、やめました。
「来てくれてうれしいな。さあ、早くドアを開けてやろう。」

「じいちゃん!」
「おじい!」
孫たちがコルベじいさんを抱きしめました。
「ただいま。そして、お誕生日おめでとう、お父さん」
じいさんはいつものむっすりした口を和らげて、いいました。
「お帰り。よく来たね。大変だったかい。ありがとう。」


コルベじいさんの庭には、今日もクロウタドリの声が響いています。
なんと言ってさえずっているか、ぜひ聞きにきてくださいね。
よく分からなかったら、じいさんに尋ねてみてください。
きっと素敵な昔話とともに、教えてくれると思いますよ。

【おわりに】
夫は加齢と病気のせいで、年中不平を口にしています。
正直私も子どもたちも閉口気味。
そんな夫をいさめ、励ませるようなお話を書こうと思いました。
この話に出てくる「コルベじいさん」は99才ですが、夫はその半分ぐらい。
幼いころのエピソードは創作の部分もありますが、夫から聞いた話もあります。
これから長生きして、きっとつらいこともまだ続くだろうけど、考え方ひとつで生き方を変えられるかもしれないことに気づいてほしいです。

もうすぐ夫の誕生日なので、娘たちにドイツ語訳してもらって、プレゼントしようかと思います。
私たちが旅行で不在の3週間、挿絵を描いて、時間が潰せれば何よりです。
そして、庭から聞こえるクロウタドリの声を「何て言ってるのかな」と思いながら、聞いてくれればうれしいです。



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