見出し画像

山に伏すのか?

修験をやってみたい気がしてきている。

なぜかと言われるといろいろあるけど、熊野に行って、やはり神仏習合がしっくりくるなあと感じたこと。

熊野の神さま、お不動さまとのご縁、それと祈り。

祈るということについては、最近になって懺悔と回向を強く意識するようになった。つまりは供養かな。このへんのことも大きい。あと在俗の身で成り立つという点も。

修験というと、超能力とか霊能力、神通力のような特殊な力がクローズアップされる部分もあると思うけど、そういった力を求めているわけではない。

ストレートに「人を救いたい」という想いでもない。

単純に、日本の神仏と向き合いたい、自分と向き合いたいという感じ。

その過程で、験力というものも備わるなら備わるだろうし、利他的な行いも自ずから起こってくるとは思うけど。

神さまと仏さま。昔は仏さまへの興味が強かったけど、段々神さまのほうへも意識が向くようになってきて、やはりどちらもいいなあと強く思うようになった。日本の神仏ありがたい。

自然崇拝とか多神教の土着信仰、ペイガニズムとかも面白いと思う。妻は子どものころ魔女に憧れていたらしく、今まさに魔女になってきている。山伏は山の神仏を感じて山の智恵で生きるけど、魔女というのも森の精霊を感じて森の智恵で生きる存在なわけで、似てるよね。どちらも薬草とかに詳しかったり。山伏と魔女の夫婦というのもいいんじゃないか。

神仏へ祈りを届けて、また何かが届けられて。そういう生き方の一つの道として、修験が浮かんできたんだけども果たしてどうか。

今、山伏になるといってもなかなかどうしたものかというのはある。だいたいの入り口としては各地の寺院の修行体験になるだろうけど、コロナで軒並み中止になっているのが現状だ。去年の秋、塩船観音の修行体験に参加して、今年の春も行こうと思ったけど中止になってしまった。塩船観音では春秋の修行体験修了後に一年間の講習があり、その後修験得度という流れ。しかし春の修行体験に参加できなかったので、塩船観音で山伏を目指すと早くとも来年の春からまたさらに一年先ということになる。そんな中、いろいろあって我が家では奈良への移住を実現する流れが加速してきている。

もうこれは奈良で山伏になるしかないか?

となるとまたどこに属するのかという話になってくる。聖護院の本山派か、醍醐寺の当山派か、あるいは金峯山寺の修験本宗か、そのほかか?

うーむ、とっかかり、なし!

まあ修験の聖地がある奈良に住むということ自体、導きなのかもしれない。

とりあえず東京にいるうちに、修験と関係が深い寺社にお参りしようと思う。引越し前に奈良へも行かんとな。よきご縁があらんことを。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?