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2度目の能登復興災害個人ボランティア参加で学んだこと

能登復興災害ボランティアに参加して学んだことの記録
能登ボランティアがどんな感じのものか知りたい方がいればご参考に。


ボランティア参加の経緯

・水害の報道映像を見ていたたまれなかった
・自分にも少しくらい何かできることがあるような気がした
・現在無職で自分時間がある
・家族が参加を応援してくれた
・前回1週間参加したが、まだまだやり残しを感じていた

個人ボランティア

能登地震水害ボランティアにはいろいろ参加の仕方がある。NPO団体や社会福祉協議会、各種団体へ直接申し込むボランティア、石川県が募集の取りまとめをしているボランティアがある。
参加者は地震後から継続的、定期的に参加している人が多いが、水害後に初めて来てみたという方や災害ボランティアは初めてという方も意外と多かった。
私はボランティアはベテランではないし石川県の地域的なこともよく分からず、人が足りていないと騒ぐわりに予約はいっぱいで最初は県のサイトを通さないNPO団体のものに参加してみたが、結果的には初心者は宿泊場所がネットで予約でき、バスの送迎があるものが一番わかりやすいと感じ2回目の参加は全て県サイト経由のものにした。
県サイトのものは毎日の活動場所や日にちは自分で選択ができ、活動時間も1日4〜5時間程度と短いため、どんなことをするのかすらわかっていない初心者にはわかりやすい↓

何か専門的な特技があるような人や、ベテランさんは県を通さないNPOに申し込む方がよいのかもしれない。団体のポリシーやスタンス、活動の経歴などに賛同して参加することができるし、NPOは行動も素早く仲間同士の結束も固いため被災地へ貢献度も高いと感じた。

参加者いろいろ

・会社定年者(60〜70歳)
会社をリタイヤし今は何もしていない人。
体力は若い人よりは劣るが、知識が豊富なため限定された道具も工夫して使ったり、現地に転がっている物を活用したりし頼りになる人が多い。社会経験が豊富なため、チームリーダーも頼めば簡単に引き受けてくれる。
難点 話が長い、自分の話をし続ける、固定観念が強く人の助言を聞き入れない。高齢者の特徴でもあるような気がする。
・専業主婦(女性)
子育てが終了し家庭がひと段落している年代が多い印象
積極的で明るい方が多い。ご近所づきあい、仲間づくり的なことに慣れていて、被災者の生活に今必要だろうこともすぐに考えることができるため、とても頼もしい。なんと言っても被災者の心に近づいていけるおしゃべりが得意。被災者はボランティアだとわかっていても男だけの集団がくると怖いと感じるらしい。女性必携だ。
・会社員
ごく普通のサラリーマン。一般ボランティアにはガテン系の人は少なく、どちらかと言えばホワイトカラー的な仕事の方が多い印象
ボランティア休暇を取得してきている人もいるがやはり圧倒的に有給休暇で来ている人が多い。ボランティア後には本業の仕事が待っているハードなパターン。
元気な人、アウトドアが好きな人、スポーティな人が多い印象
・医療従事者
看護系、介護系。
医療専門職のニーズがあるような気がするが、小さな病院にはそういう情報はないといった声が多かった。普段からチームで動くことが多いせいか素早く頼りになる人が多い。
・無職
無職で何もしていないから来てみたという若い人が多い。
柔軟性があり、わからないことは積極的に聞くなど無職にしておくのはもったいない。若い人がいなくて困っている会社は被災地にリクルーターを派遣してみてはどうか?ボランティア参加者にさりげなく「うちに会社に来ないか?」と持ちかけてみればいい人が採用できるかも。
・どこかの市会議員(?)、その付き人(?)、ファンの人(?)
面倒くさいので話はしなかった。少し活動してすぐに帰っていった。常に視察団のような動き。講演のネタ探しや活動写真でも撮りに来た?

力作業の配分

被災地でできる活動の力作業は6〜7割、それ以外は3〜4割ぐらい。基本的にチームで作業するため力がなくても何かしらやれることはある。
どちらかといえは必要なのは力というよりメンタル的な強さかも。被災地の景色を見ながら初めて出会った人とチームを組んでする作業は想像以上のストレスがかかるかもしれない。何事も前向きに捉えられる人やのんびり屋さんは多分大丈夫。

作業の割り当て

集合先のボランティアに到着すると数個の椅子が準備してあったり、ない時はテキトーに集まっていると、ここからここまでが1GP、2GPといっておおよその人数が決められる。
ボランティアセンターは参加者の連続参加度、体格、服装などでその人の経験値を測れるようになっており、人数によって適度と思われる作業が振り分けられる。
ボランティアの希望などは取らないで主導はあくまでも本部側がとる。希望別にすると人数が偏ったり必要人数に達しないことがあるようだ。(床下作業などは特殊性があるため希望者を募ることがある)
振り分けられた仕事にはたまにミスマッチがあったりする。担当者が不慣れなときは頻繁にこれが起こる。例えば女性やお年寄りが多いグループに力作業を振り分けたり初心者ばかりのグループに経験が必要な仕事を割りあてたりで、せっかくの1日を無駄にするということもあるようだ。これはボランティアセンター運営側の問題。そういう場所に不運にも遭遇してしまったら未熟な担当者を嘆いて諦めるのが大人の流儀?いや、ボランティアは交通費とか宿泊費とか時間をかけてみんなその場所に行っているのでそれでは済まない。ちゃんとやってほしいという不満が出て当然。◯◯協議会というような給与を得て普段から動いている組織は、情報共有や事前の打ち合わせをしっかりする、平素から緊急事態を想定した訓練をするなどしてもう少し努力してほしい。イライラが募ると「こっちは毎日遅くまで仕事してんだ!」となることもあるとか。なんと返せばいい?「こっちだってタダで働いてんだ!」とか?いやいや、そういう時は何も言わずに引くのがいい。無駄な戦いは時間の無駄。その時間に道具の手入れでもしていたほうがいい。まあ相手が多少イラついて八つ当たりを受けてもそれを静かに受け止める寛大さはあってもいいだろう。
ただ運営サイドへの不満はボランティア同志の口コミですぐに広まるので、次回はちがう場所を選ぶ場合が多い。この間までずっと満杯だったはずが急に数十人単位でキャンセルが出ているような時は何か訳ありなことがあるかもしれないのでしばらくその地区は様子を見た方がいいかも。

グループリーダー

作業人数が確定するとその顔ぶれの中から1名グループリーダーを選出。本人了承のもと選ばれる。ほとんど経験者が選出され、嫌がる人に無理やりリーダーをやらせるようなことはない。
私的にはその地区のボランティアを2、3回経験すれば社会人であれば誰でもできることでありそんなに大変なものではないと感じていた。グループの人数確認、作業手順を全員に告知し振り分けができればいい。その他、持って行く用具の指示、数の確認、本部との調整、最終報告などがある。

リーダーに向いている人
・大きな声で話せる人
・時間管理ができる人
・全員の動きに気を配れる人
・人の話を聞ける人
向かない人
・自分で作業をやってしまい作業に没頭する人
・時間管理ができない人
・知らない人とのお話が苦手な人

その他、体力がありなるべく動きたい、運動したいという方は体力の発揮を優先し、リーダーはなるべく断った方がいい。リーダーは女子でもできるが力作業は女子には難しい場合が多い。どちらかといえば体力のない人はリーダーの方が向いている。私は体力に自信がないため積極的にリーダーを希望していた。

実際にやった作業

側溝の泥出し
家の中に入った泥のかき出し

家の中に入り込んだ土砂は機械ではとりはぶけない
古いお宅は床下がコンクリートではなく土のお宅が多く、どれが入り込んだ土砂なのか元々の地面なのかがわからないため作業は難航を極める

床下泥のブラッシング
家内に入った土砂の搬出
神社の中の壁搬出、畳の搬出
家財の洗浄
スーパーの商品棚洗浄、商品棚づくり
店舗の再開支援
火災あとの倉庫?の貴重品探し
学校のドロのかき出し
歩道の清掃
トイレ清掃など

水害後にボランティアに参加したため、泥出し関係がほとんどだった。被災者によれば地震より水害のほうが後片付けが大変とのことだった。

ボランティアに向かない人

ずばり、チーム作業ができない人
私の活動期間は約1カ月、おそらく延べ150人以上の人と一緒に動いたと思うが残念ながら1人だけこういう人がいた。60代後半くらいの年齢で、力があるのでドンドン泥掻き作業は進んでいくが、狭い場所での作業で頭上や棚には崩れかけたものがまだたくさんある中、周りに声かけもせず作業を進めるので極めて危険。リーダーの指示に従わず、リーダーに何かを聞くこともなく勝手に作業を進める。おそらく今までの生き方や仕事の仕方がそうだったのかもしれない。
リーダーがしっかりした人だったので一度すべての作業を止めてその人に話をし、今の話が理解できたかを本人に確認、わかったとのことだったがその後の作業も様子が変わらなかったため、その人がやる箇所は単独箇所にし、その他の人で共同作業をすすめた。通常の人はこうはならない。わからないことはリーダーや周りの人にやり方を聞きながらやればいい。その人は話しかけても終始誰とも話をすることもなく作業は完了したが残念な1日だった。

ボランティアの休日

石川県が募集している能登ボランティアの場合、毎日どこかで活動しており、参加日や休日は自分の自由で決められる。

能登町恋路海岸の夜明け

私は長期滞在タイプなので、5日やって2日とか、3日やって1日とか作業での疲れ度合いによって自分の体力ペースで休日を決めていた。また土日は希望者の人数が多いため休みはそこにぶつけるようにしていた。仕事を持ちながら活動している人はこうはいかない。月から金まで本業で働いて土日はボランティアという方が多い。本当頭が下がる。また能登ベースキャンプはボランティア前日と後日泊ができるため1日休みの日を入れても宿泊できる。2日以上休む日は富山県の親戚宅に泊めてもらってた。休日は買い出し、コインランドリーでの洗濯、能登観光、温泉巡りなど満喫した。

日本航空学園ベースキャンプ

日本航空学園能登空港キャンパス
夕暮れの空は絶景

航空業界へ進学就職を希望する子のための大きな私立高校だが、学校建物が被災し、野球部以外の学生は他県の分校に移転しているようで校舎の一部が空いている。太っ腹なことにこの空きスペースを学校がドンと開放してくれている。被災校舎なのでエアコンの故障、隙間風などは多少あったが、野外でテント暮らしすることを考えれば格段に環境がいい。
寝る場所は教室で、1クラスに9個の個室テントが入っている。食堂(有料)、お風呂(無料)、売店、洗濯機・乾燥機(無料)なども貸してくれるためほとんど不自由なく生活ができる。しかもなんとWi-Fi完備!ありがたい。
教室のコンセントは使用不可のため、非常用バッテリーでタブレット類は充電しなければいけないのがちょっと面倒だったが贅沢は言えない。

被災地ではよく見られるようになった
プライベートテント

部屋割りは毎日変わるので長期滞在者も毎朝後片付けが必要。部屋のエアコンは壊れている部屋が多く、廊下に石油ストーブは設置してくれているが、鉄筋の校舎内なので夜中明け方は寒い。簡易ベット、マット、毛布はあるが寒いのが苦手な人は冬山用寝袋を持っていった方がよい。冷暖房完備のところでしか生きたことがない人は耐えられないかもしれない。
宿泊間多く聞かれたのが「いびきがうるさくて寝れない」「早朝からうるさい」という生活ノイズへの不満。プライバシーは守られていても壁はビニール一枚のテントなので生活音は容赦なく響いてくる。その対策として耳栓が置いてあったりする。私は周りが相当うるさくても震度5の地震が来てもどこでも寝れるタイプなので全く苦痛なく1ヶ月暮らせた。繊細な人は無難に金沢で宿泊するビジネスホテルコースを選んだ方がいい(もちろん有料)。ボランティア活動よりも生活のストレスで疲れてしまう。
でももし自分が被災者になると、どこかの避難所でこれに子供の泣き声、お年寄りの呻き声、大音量のラジオ音などが加わったりすることを考えれば一度こういった比較的常識のある大人達の中での生活音を体験しておくのもいい経験かも。

高速道路無料化措置

いつからこんなものができたのだろう。ありがたい。
NEXCOに個人で申請し自分でプリントアウトすることが必要だが、この紙を見せると被災地への往復高速料金が無料になる。料金所でETCを使わず通行券で入り、出口で証明書を提出すると無料で通過できるのだ。使う人は活動先でボランティア活動証明印が必要なため、印鑑のもらい忘れに注意。
難点は手続きに不慣れな料金所で降りると料金の徴収員が慌てふためく。もしくは面倒くさそうな顔をされ嫌な気分になることがある。

ボランティアに参加したみんなの感想

・もうほとんど復旧しているのかと思っていたので現地の景色が春から変わっていなくて驚いた。
・災害の程度がこれほどまでにひどいと思わなかった。TVやYouTube映像を見て感じることと違う。
・被災者に少しでも喜んでもらえてよかった。
・水害の後片付けの大変さを知った。
・自分の居住地に同じ災害が来た時のことを考えながらやっていたので勉強になった。
・通りを歩いている知らない人にお礼を言われてびっくりした。
・自分の居住地に帰ったら避難訓練に参加しようと思った。
・普段からの備えをしっかりしようと思った。
・全国にたくさん友達ができた。
・長期にボランティア参加している人に感銘を受けた。
・初めて参加したがチームの人がいい人ばかりで楽しかった。
・能登被災者は遠慮深いことを知った。
・住民同士がとても仲が良さそうに見えた。
・やったことのない仕事を経験できた。
・何よりも達成感、充実感を感じた。
・またこようと思っている。
・この活動を自分の会社に普及したい。
・思ったような作業ではなくがっかりした(ソーラーパネル下の泥だし、単なる引越しの手伝い、災害ゴミではない粗大ゴミ出しの手伝い)
・内気であまり話ができないけど周りの人が色々と教えてくれて勉強になった。

最後の活動日

活動最終日の前夜、震度5弱の地震があった。地震よりも一緒の部屋で寝ていた女性達の悲鳴で目が覚めた。幸いにして自分はなんの被害もなく、太々しい私は疲れもあってそのまま朝まで余震にも気づかず寝ていた。
結局活動最終日は余震が続きボランティアは全部中止。本当はいつも活動していたボラセン担当者に別れの挨拶をしたかったのだが、よく考えてみればそんなことをしなくてよかった。被災者はこれからもずっとこの地で長くて終わりが見えない時を過ごすのだ。自分の無神経さをちょっと反省した。震度5に助けられた。

でも流石に長期にわたりお世話になったベースキャンプの管理人のおじいちゃんにはしっかりと挨拶をした。コミ力が薄い私はベースキャンプではあまり誰とも話すことなく、管理人さんとは必要以上にお話しすることもなく、きっと私のことなんか覚えていないんだろうなと思っていたが、ひととおりのお礼ののち「これで北海道に帰ります。」と伝え駐車場で出発準備をしていたら、わざわざ車のところまで来てくれて「遠くから長い間活動に来ていただき本当にありがとうございました」と深々と頭を下げられた。
この人も被災者なのだ。活動期間中に自分にできたことが被災地の被害の大きさに比べあまりにも小さすぎるような気がして涙が出た。

あとがき

誰かのTシャツに「今できることを少しだけ」というようなことが書いてあった。
能登半島の一角に同じ思いで足を運んでくる人たちがこの国にはまだ1万人以上もいることに幸せを感じた。被災地の光景はまだまだ被災地のままだけど、きっといつか普通の暮らしが戻ってくる。その復興の一部に携わることができた貴重な日々、それを今なお支えている人たちに感謝したい。


筆者

北海道
56歳女性 専業主婦(元自衛官)
軽自動車で参加(フェリー⛴️、高速道路)
宿泊 能登ベースキャンプ、親戚宅
滞在期間 10/13〜21、10/31〜11/27
一人で参加

最後まで読んでいただきありがとうございました。


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