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神道・神事・神話における考察の姿勢と着眼点(1)

個人的な考えですが、論理的な思考(事実や情報をもとに推論・理論を時には数理的に展開していく客観的な思考)と直感的な思考(個人の経験で感じたことやその積み重ねで行きついた思考回路に基づく主観的な思考)は突き詰め、データ量を増やすことで真実に近いものが見えてくると思います。

神道では「清き(きよき)明き(あかき)直き(なおき)正しき(ただしき)真心もちて誠の道」を追求します。 
人々は道は違えども、道を突き詰めた先に共有できる真理がある。
清い精神状態で明朗な心持で、真っ直ぐに物事を見据え、正しく事象を捉え、得た情報を突き詰め、多くの人と共有することでより真実に近づく。という真理探究≒哲学ともいえます。
共感する者が多いということは、部分的でも真理に近づいている証左とも言えます。

真理探究はその過程で失敗も体験します。
でもそれは成功の糧です。 例えば、システム開発では、システムの欠陥(バグ)を洗い出すテスト工程は、システム構築の半分を占める大事な工程です。失敗はほぼ必ずおきることを前提にシステムを構築していき、その失敗に対しての対策を行い、より安定したシステムを構築します。
また、どうしても取り除けないバグがあった場合、新しい発見につながることがあります。想定外となったものは、新しい視点や概念を生み出すことが多々あるのです。 

人類(およびすべての生命体)は、寿命や環境(人間関係・生活・経済力)による制約や生まれ持った身体能力(体力・知力・感性)に限りがあり、一人一人が到達するためのリソースに限りがあります。
だからこそ、先人は自らの生命の成果として、後の世のために伝え繋いでいったのです。

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