一年二歳計算の年表で考察

太陰暦を導入する以前は、大祓の月末の夏越(現在の6月30日)と年越(現在の12月31日)で1年を区切る慣習があったようで、そのため古代の天皇の年齢が100歳を超えていたりと記紀には記されていたと考えられています。
一年に2歳年を取るので一年二歳歴として、具体的に年表を作成してみました。
どの天皇の時代に一年二歳歴から中国から輸入された太陰暦に切り替わったかを、当時の時事の記録として、記紀の記述と魏志倭人伝などの史料と比較して2022年現在の自説として雄略天皇の時代に歴の変更があったと考察しました。
なお、現代の武内宿禰の継承者の談では応神天皇もしくは仁徳天皇の時代であったようです。

この年表のポイントは以下の通りでです。
・卑弥呼(日の巫女)の時代は崇神天皇から垂仁天皇のあたりである。ちょうど日本の中心の大和から各地に影響が広がった時代。神社が全国各地に広がった時代。
・神功皇后から応神天皇の時代に朝鮮半島に日本による支配が広がる。
・五王「讃」「珍」「済」「興」「武」は時事の記録とほぼ一致する。
・神武天皇が即位したのは西暦でいうとBC90年ごろ、辛酉の年でいうとBC116年

興味があったら色々考察してみてください。
自分は卑弥呼(日の巫女)は夜麻登登母母曾毘売命から倭姫までの世襲名と思っています。

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