テストは問答無用で嫌い

2月くらいからずっとためていたサークルの仕事を一つ終わらせた。やってみると案外二日くらいで終わってしまったので、なんで早くやらなかったんだろうなあとか思いつつ、でもできなかったよなあとも思う。こういうところで自分に甘くなってしまうのが良くないところだ。ずっとそう。でも自分のことを否定しすぎたらたぶん本当に死にたくなってしまうから、やる気が起きない自分のことも否定はしたくない。やらなきゃならないことはやった方がいいのだけれど。

去年はあんなに楽しかったサークルが、今はあまり楽しくない。初めてできた後輩は可愛い子もいるけど嫌いな子もいて、後輩が入ってきたらサークルをまた楽しめるかもしれないという幻想は打ち砕かれた。好きだったはずのプログラミングも、先輩にやれと言われたら全くやりたくなくて、結局自分のためにしか仕事ができないのだと気づいて心底絶望した。裏方の仕事が好きなのは、人を輝かせることが好きなんじゃなくて、人が見えないところでも頑張ってる自分偉いって思ってたからなのか?だとしたら人生やり直すしかない。そうじゃないことを願う。気づかなかったふりをする。

生きる気力みたいなものが最近ずっと行方不明だ。理由はなんとなくわかっているが、打開策があるわけでもないので、ただ画面の中の推しを眺めるのがささやかかつ確かな楽しみである。最近はもっぱらダウ90000ばかり見ている。ABC勝って欲しい気持ちが8、これ以上チケット取れなくなると困るなあが2といったところだ。もう3ヶ月も経つが、30000を見に行った日のことを今でもお守りとして大事に胸にしまっている。見終わったあとあまりにも興奮してしまって、一緒に見た友人と二人でミスドを買って、当パンに書いてあった桜の咲く場所を見に行ったあの日。そのときに買ったグッズのTシャツは、このあいだ蓮見さん主催のライブに行った日におろした。受付が忽那さんと上原さんで頭真っ白になった。楽しかった。

楽しいことがあるのと生きる気力があることは違う。楽しさはマイナスをなくしてくれるけど、それを0からプラスにしてくれるのは楽しさじゃなくて別のものだ。その「別のもの」は頑張れば手に入るものじゃなくて、出会いとか運とか、自分のコントロールが効かないものが色々作用した結果降ってくるものだと思う。少なくとも私にとってはそうだ。去年は久しぶりにそれが降ってきてくれた感覚があったけれど、気づいたらいなくなってしまっていた。いつになったらまた顔を見られるだろうか。その日が来るまでは、音楽を聴いたりお笑いを見たりYouTubeを見たりしながら、なんとかマイナスを0にして、日々生きていくこととする。

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