夏の始まりに思い出すこと
上の写真。
どこかに生き物が写っているのがわかるだろうか?
正解は中央付近の枝に、すずめが止まっている。
私の一番好きな鳥だ。
あの愛くるしい鳴き声、ふっくらとした姿、好奇心が旺盛なところ、ちょこちょこピョンピョンした動き。
絶対に可愛いと思わせに来ているだろう。ずるい。
枝から枝へ、ちーちゅちーちゅと求愛の歌が聞こえるようになると、夏が来るなと思う。
子どもの頃、すずめを育てた経験がある人はどのくらいいるだろう。
私の小学生の時の親友、こうちゃんは何度も育てていた。
彼女の家は古い一軒家で、二階の屋根にこれまた古いすずめの巣がかかっていて、毎年そこへ卵を産みにやってくる。
しかしその巣は毎年お約束のように、雛が孵ると底が破れてしまう。
そうして地面に落ちた雛たちは目も開かぬまま死んでしまい、こうちゃんは、今年は何羽死んだと静かに呟くのだった。
彼女とその家族は生き物が好きだったが、可哀想を大義名分に無暗に手出しするようなことはせず、巣を補強することもしなかった。
放っておけば他の生き物の食料として、立派に命をつなぐことができる。
けれど、幼い命が何かの餌食になることを分かって目を瞑るのはなかなか難しい。
そこでもし、生き残っている雛がいたら、その時は巣立てるようになるまで育てる方針だった。
ある日こうちゃんが見せてくれた生き残りは、まだ灰色の羽毛の隙間から赤い地肌が見えていて、ふらふらと頭ばかり重そうに、本当に飛べるようになるのか不安になるほど弱々しかった。
しかし、彼女は動物を育てるのが上手だった。
学校からまっすぐ帰ってはスポイトで水をやり、ピンセットで虫や柔らかくした米を食べさせる。
こうちゃんはちょっとおバカなところがあったけれど、何かの面倒を見ることと手芸が得意で、そういう時はとても大人に見えた。
やがて目が開いたすずめは、ぴょこぴょことこうちゃんや私の肩に乗っかっては何か食わせろと訴えるようになる。
ラーメンが大好きで、麺を足で器用に繰っては上手に食べていた。
シリアルを食べようとすれば、お皿の中に突撃して牛乳まみれになっていた。
知らない人が来れば食器棚の上に逃げ、慣れた人が指で撫でると気持ちよさそうに目を閉じる。
小さなほわほわした羽毛やじっと見つめるまん丸い瞳、間近で見るすずめはとても可愛い。
しかしどんなに懐いたとしても、こうちゃんは必ずきちんと野生に返すのだった。
「家族になったスズメのチュン」(竹田津実)を読んでいると、その時の体験がよく思い出される。
これは「子ぎつねヘレン」で有名な獣医師・竹田津先生が、病院に持ち込まれたすずめの雛を野生に返そうと奮闘した記録である。
当然、野鳥の飼育は法律で禁止されているし、たとえ動物病院であろうと保護することは違反に当たる。
賛否両論だろうけれど、私はこうちゃん家族と竹田津先生の、動物に対してバッサリ切り捨てるでも猫可愛がりするでもない線引きの仕方に深い優しさを感じる。
読んでいて、彼女の家の色々な動物のにおいがする居間を思い出して懐かしくなった。
こうちゃんの家も先生の動物病院も同じ北海道、どちらが育てたすずめたちも、みんな名前は「チュン」だ。
鳥は求愛の時、相手にプレゼントをすることがある。
チュンもまたあるものをプレゼントに、先生の奥さんを振り向かせようと必死なのが面白く、可愛い。
そして動物を飼育したことのある人なら、「この子は自分を人間だと思っているのではないか」と感じたことがあると思うが、そのあたりを獣医師の目線で分析されていてとても興味深い。
小学校中学年向けの本なので、生き物が好きなお子さんにも読んでもらいたいと思う。
飼うことが叶わなくても、この一冊ですずめの愛くるしさと頭の良さがよくわかる。
これほどいじらしい生き物が、近年減りつつあるのは残念でたまらない。
どうかもっと身近に感じて、もっと問題意識につながればと願う。