一枚のポートレートより

1冊の画集を開いた。大正時代から昭和に生き、数多くの花魁を描いたデカタンの日本画家、甲斐庄楠音(カイノショウタダオト)の作品集だ。「穢い絵を描く」という理由で大正画壇を追放された画家である。この画集を開くと最初に楠音のポートレートが載っている。竹の花器に大輪の椿を活けて持つ端正な顔立ちの楠音。

このポートレートを見つめていると、ある人物を思い出す。
それは私の叔父だ。

母の弟にあたり一人暮らしをしている人で、結婚の経験がなくずっと独身生活を続けている。私と同じくバラが好きで、数十株もの鉢植えのバラを小さな庭に並べ育てている。今までどんな仕事をしてきたのか、私は全く知らない。

叔父は関西や近畿、広島辺りを転々としていたようで関西弁で話をする。数年前、広島在住時に脳梗塞を起こし、故郷であり姉(つまり私の母)のいる街へ帰ってきた。
あのポートレートの楠音と共通した雰囲気を漂わせているものの特に目立つ人ではない。けれど保守的で窮屈な性格の人が多い親戚の中で、昔からどこか人を惹きつける存在感があった。特に高い学歴があるわけではないのに頭が良く、妙に勘の鋭いところがある。冗談も好きで話も上手いのでさぞ女性にもモテただろう。なのに一度も結婚していない。

私の将来つまり結婚のことを心配する母に、叔父は屈託なく笑って言う。
「姉さん、Mollyは誰かの妻よりも妾になるんちゃう? サラリーマンの妻とか考えられへんやろ。気が小さいくせに我が強い、男を支えるには真っすぐすぎる、真っすぐすぎるゆえに捻くれる。売れない漫画家の妻にもなれへん、貧乏作家の妻にもなれへん、仕事も短期間でコロコロ変わる上に紹介された仕事は勝手に断ってくる。何考えとんのか全く分からへん。惚れる男は相当な変わりもんやろな(笑)」
そんなことを何事も杓子定規に捉える母に対して淀みなく話す。

こう見えて本来はおしゃべりが好きな私は気の合う人であれば一晩中でも話し続けるほどである。けれどこの叔父と時間を過ごす場合、おしゃべりが楽しいのと同時に、言葉を交わさない静かな時間が続いても、不思議と間が持つのだ。人との会話においてありがちなのは間が持たずに何か話さなければとアセッてしまい、つい余計なことをしゃべってしまうものだ。叔父との時間にそんな心配はいらない。

叔父とは少し性質が異なるが、あのミスター・ポイズンもそういうところがある。彼との会話にしばらくの沈黙が訪れても、密度の高いテンションが私を捕らえて緊張感と安堵感を生む。けっして不快ではない。

私は再び叔父の様子を思い起こす。
座布団を押し入れから出して軽く埃を掃って、自分に敷いて座る。その動作は女の私より女らしい。少年時代に日本舞踊を習っていたそうだ。その訓練が日常的な動作に生きて、叔父は立ち振る舞いが常に美しい。物の扱いも丁寧で、その動作や仕草に私は子供の頃から女性らしさを感じていた。指の先まで神経が行き届き、しかも自然だ。風情ある首のかしげ方、薔薇を切る仕草、正座した佇まい。男が惚れたって不思議ではない。

そういえば日本画家の楠音はバイセクシャルであった。女装した写真もたくさんある。ちょっとグロテスクではあるものの彼は身体と心に「女」を持っていたのだと思う。叔父も楠音のように女になりたかったのではないだろうか?結婚しなかった理由は女たちとの恋が実を結ばなかったわけではないと、私は考えている。

その記憶は私がまだ少女だった小学生3年生の夏休みのものだ。それは祖母の家の一室でステレオセットの横に隠すように挟まれていて、薄い冊子のように見えた。明らかに隠してあるのだから見てはいけないことくらい子供の私にも分かる。しかし気づいてしまったからには無視できない。

人々が知る必要がないもので、しかも隠されているのなら、私は見なくてはならないのだ。

隠された冊子と真夏の熱気が10歳の私の欲望をかきたてる。それが他の雑誌に紛れてその辺に投げ出してあれば私は案外と見向きもしなかったかもしれない。しかし隠されているのだから見たくなる。部屋には誰もいない。

それはタブーに近い漫画本だった。日本のものだが少年同士の同性愛を描いたもので、舞台はドイツのギムナジウムのようだ。作者は確認していない。なぜこんなものがこの部屋にあるのか?そのとき私の心に小さなトラブルが起こった。漫画の内容のせいではない。漫画本の持ち主を考えたからだ。私は漫画本をステレオの隙間に丁寧に戻して取り澄ました顔であとを過ごした。でもそれを知ったことで満足したのかその後にどうとも追及する気は起こらなかった。あの漫画本を見たのは、後にも先にもあのとき一度だけだ。

誰だって他人には見抜かれたくない性質を一つや二つ持っている。それをひた隠しにして生きている人だっている。あの楠音だってそうだ。「穢い絵」で有名だが、楠音の作品全てが穢かったわけではもちろんない。初期の作品はこの上なく典雅で美しいものだ。ただある時期から絵筆が自分自身を超えてしまい、必死に隠したつもりが出品予定の女人を描いた作品の一つにそれが溢れ出てしまった、それを土田麦僊が見抜いて、「汚い」でもなく「淫ら」でもなく、「穢い」と酷評した。決定的な蔑みの言葉だ。

もしこの言葉が一つの作品から楠音がひた隠しにしていた女性に対する異様な性欲を感知して発せられたのだとしたら、土田麦僊こそ只者ではない。

叔父が若かった時代なら、今ほど積極的な運動は認められなかっただろうし風潮も甘くなかったはずだ。叔父はどう考えただろう?
人に受け入れられる、認められるというけれど、本当にそれは簡単なことではない。それは血のつながった親子でさえ一筋縄ではいかない。であればなおさら、同性を愛してしまうという性質を持つ叔父には、自分で自分を受け入れることですら難しかったに違いない。ましてや他人は知らぬが仏、知ったが最後、決して打ち明けられない無念さは苦悩でしかなかっただろう。

叔父に叶った恋はあったのか私は知らない。でも叶ってこその恋なのだ。なぜ今でも一人なのか。何かを表現せずにはいられない情熱はないのか、どんなに薔薇を愛していても薔薇は薔薇でしかなく、情愛も、情欲も満たせない。今からだって誰かを愛せばいい、好きなだけ恋に落ちればいい、生きてるうちに何人人を愛せるか、試してみろ。叔父にそう言いたい。

楠音は言っている。
「ただ生き方の差異のみである」


#甲斐庄楠音 #タブー #差異


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