男も男なら門番も門番だと思った

事あるごとに読んで飽きないのがカフカの究極の短編「掟の門」だ。ある男が掟の門の前にやってくる。そこには門番がいて、男は門の中に入ろうとするが、門番に「今はダメだ」「入ってもいいけどオレはこのとおり力持ちで、この奥に進む度にもっと屈強な番人が配置されてるぞ」と脅される。男はビビッて門の中に入れない。門の前で何年も何十年も過ごし、やがて男に死期が訪れたそのとき、門番により「この掟の門はおまえのためだけのものだったんだ、じゃあオレは門を閉めるぜ、あばよ」という話だ。(言うまでもなく門番のセリフはいい加減に書いてます、話も本当はもっと厚いですが、だいたいこんな感じです)

私はこの話を読んだとき、何もせずに門番の許しをただ待って、待ち続けて、待ちくたびれて、待ち過ぎて疲れて死ぬ哀れな男の話かな、とか、誰しもその人のために用意された「掟」と名の付く門があるんだろうな、などと、低能な頭でわりかし高尚なことを考えていた。

で、たまたま昨日の午後、思い立って読み返してみた。すると新たな疑問が立ち上がった。
なぜ掟の門の前にきた男は門番の脅しを信じたのだろう?まず、本当に門番が強いのか喧嘩の一つくらいしてみてもよかっただろうに。案外と一度の喧嘩で勝てて、すんなり門をくぐれたかもしれない。もし負けたら門の前で腕立て伏せ50回とか腹筋100回を日課にして、改めて門番に挑戦すればよかったのだ。たずさえてきた色々なものを贈り物として門番に渡すのもいいけれど、人の身体は鍛えれたら鍛えた分だけ強靭になるようにできている。そのくらいは男だって知っていただろうし、門番もそれを期待していたのかもしれない。

門番の口先だけの脅しに近いルールにすら挑戦しなかった男、実にもったいない話だ。カフカはこんなやりきれない短編をわざわざ書くほど暇だったのだろうか。

それにしてもこの門番、読めば読むほどムカつく奴だ、単に職務に忠実な男という以外、格別優しいわけでもなく、これといって何の取柄もなさそうなのに何やら偉い人物のように見えてくる。何の根拠もないのに、だ。小説の人物設定とは不思議なものだ。

門番だって何歳か知らないが、あんがい定年前で暇だったのかもしれない。定年前の暇つぶしに男を脅したりしないでさっさと男を門の中に入れてあげれば、門の前でモタつく男に延々と付き合わされ続ける必要などなく晩年は遊んでいられただろうに。それかまだ遊び足りない年齢であったのならば、見ているだけでウンザリするような男はさっさと見限って退職願を出すという手もあっただろう。「気が向いたときに口先でいたぶりながら男が死ぬまでとことん付き合う」という、ほとんど放置プレイのような道以外に「中途退職願を出す」という選択肢が頭に浮かばなかったという点で、この門番は私以上に低能だということが分かる。

そう考えると旅の男だって、身体を鍛えて門番に挑戦する勇気がないのなら「掟の門」だろうが何だろうが、見た目は普通の門と変わらないだろうから、諦めて門の前から去るという選択肢を見い出してもよかったはずだ。だって男は自由なのだから。

旅の男は自分の自由に気づいていない、門番は職業に縛られている、男も男だが、門番も門番だ。自分に縛られる自縄自縛の精神。

究極の短編だと最初に書いておきながらこうやってくだらないことを書き出してみると、ツッコミどころ満載の短編で、もっと読み込めばもっと突っ込めるような気がする。カフカ、ありがとう。

門番さん、上から目線ですみません。たぶん門番さんは自由意志で門番という仕事を選んでるんですね、あなたはきっといい人だ。

では。


#掟の門 #カフカ #日記


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