「9」→「11」

2021年12月31日の夕食はピラフとハンバーグとサラダを食べていたと記憶している。一人暮らしだけど、一人分だけを作るのは不経済で難しい。NHKのEテレで年末のベートーヴェンの「第九」を聴きながら数時間後に食べる予定の年越しそばを念頭において、ピラフもハンバーグも量としては中途半端だったと思う。何事にも改まった雰囲気というのが苦手な私は、年が明けたからといって身も心も心機一転という心構えとは無縁な気分で目を覚まし、実際年が明けてから最初に食べたのは大晦日のピラフの余りだった。

だらしないかもしれないが、私は今年の抱負というものを考えたことがない。一年365日、一日カウントすれは年が明けるだけのこと、昨日の続きだ。でも少し考えてみると、これは単に年の区切りや、心機一転という言葉に“照れ”のようなものを感じ、それを隠すための言い訳のような気もする。

元日の午前中、キッチンの換気扇の前で煙草の灰皿を吸い殻とともに床へ落っことし、昨年と今年が地続きであることを思った。午後は実家へ行き、二日に自宅のアパートに帰ってきた。昨日の続きだ。

以前Twitterの質問箱で好きな数字を聞かれたことがある。私は「9」という数字が好きだ。自分の誕生月の数字でもあるし、何と言っても“あと一歩”という後押し的な雰囲気を内包していてそれだけでワクワクする。だから「99」も好きだし、「999」は無限のロングカウントのようで、先があるのかないのか分からない大海の果てしない水平線が目に浮かぶ。大きくて、深い。加えてその果ての異国の異邦人を思わせるような新しさ。それが私の「999」だ。

でもまずは「9」だ。「10」へ到達するのは難しい。何より「9」になることすら難しいのだ。そんなチャンスは年に数回しかない。紆余曲折あって「9」の状態までこぎつけたとしても、「10」を目の前にしてタイミングの悪さと自分に対するコンプレックスのせいで自ら手放すことも多々ある。

ただ、「10」を実感したことはない。いつもそうなのだけど、「9」の次は「11」になっている。あれ?と、気づいたらそうなっているのだ。いつ、どうやって「10」を超えたのか分からない。「11」の自分は、海岸に打ち上げられた傷だらけの人魚のような気分だ。「9」も「11」も分かるのに、あれだけ切望していた「10」を覚えていない。奇蹟のはずなのに。

でも年が明けた今年の1月4日の朝は違った。それは理屈を超えて突然頭に浮かんだ「最高の書き手と最高の読み手」という言葉だった。なぜだか分からない。それは私の身体のどこかが私に知らせてくれた、妙な正しさを伴った、自分の内部から突き上げる衝動だった。
それを書いたらもうあとのことは考えず、言い知れぬ満足感で一日を過ごした。
私という人間は、普段から、なんというのか、予兆と余韻だけで生きているところがある。感動や驚愕、悲嘆、衝撃…それらの持つ大きさや重さに左右されながら漂っているのだ。

時間を置いて、日を置いて改めて文字を読んでみる。
「最高の書き手」「最高の読み手」
それがどういうことなのか考えてみる。私の悪いところは、理屈抜きの瞬発力に任せて言葉を放つのはいいが、それをどう実行して実現するのかまで考えないことだ。
小学生や中学生の頃も、美術の先生に「これは何を描いているんだ?」と聞かれても「さあ、分かりません」と答えていた。無責任といえば無責任だが、本当に分かってないのだ。ただ描いている間は異様なほどハイテンションで充実していたということだけは覚えている。終始アホなのだ。描いた後は、それが人に褒められようがけなされようが自分の知ったことではない。あとは周囲の問題なのだ。

でも今の私は小学生でも中学生でもない。大人なのだから考えてみる。
書き手と読み手、どちらが上とか下というものではない。たとえば毎年の春夏、秋冬のコレクションでデザイナーがデザインした服をモデル(と音楽)が完成させる、それと似ているかもしれない。小説は読者によって完成する。

昨年読んだ小説「色彩を持たない多崎つくると巡礼の年」を頭に引っ張り出す。キーワードは「表と裏」だ。多分、「書き手」と「読み手」も表と裏。点と点で繋がっているわけではなく、表裏一体で絡み合っている。多作つくるの物語を読んだとき、学のない私が勝手に想像したのは、人の精神構造は「球体」であって、見えているほうが表、隠れているほうが裏、そして表も裏は常に入れ替わっているというものだ。

書かれた文章を読み手が自由に読んでそれを文章で表現し、書き手となる。それが何らかの形で書き手に伝わるときに書き手は読み手となり、それを材料や養分として次のステップへ進む。考えてみれば当たり前なのだろう。でもこれは小説家と編集者、ピアニストと調律師というようにハッキリと分担が決まっているのとは違う。あくまで純粋な書き手と読み手の関係だ。染まるのか染まらないのか分からない、お互いの独自色を保ち続けるのかも分からない、でもそれが何か奇蹟を生むかもしれない。もちろん断言はできないけど、そんな予兆と余韻を繰り替えす、それがそのまま人生の中である種の劇場となるような希望的観測を持つことくらいは許されるのではないか。そして多分、「9」から「10」の瞬間は計らずともやってきて、気づいたら「11」になって新しい境地が待っているかもしれない。

だたし、先に書いたように、それをどう実行してどう実現するのか分からない。私は異様なほど低能なので、書き手の文章を読んで漫才みたいにすぐに反応できるわけでもない。何とも思わないときはどうすればいいのだろう?書き手に反応というより感応するための時間は自分の人生にどれくらい用意されているのか全く分からない。

話が突然変わるが、昨年片方のピアスを浴室で失くした。探したけれど床からも排水溝からも見つからなかった。失くしたからといって、片方のピアスを片方の耳にだけつけるというのは私にはオシャレすぎる。諦めて両方の耳に別の玉形のピアスをつけることにした。今年に入り、普段はあまり見ないテレビを点けて観ていたら、出演している俳優さんたちがやたらと片耳だけにピアスをしているのだ。それを見ているうちに、仕方ない、片耳に着けるかと洗脳されてしまい、外していたピアスを左耳に着けることにし、その日の夜にそのままシャワーを浴びていた。すると数分でその左耳のピアスまで失くしてしまった。もうどうしようもない。私は年が明けて2週間しか経ってないのに失敗を重ねてしまっていることに落胆したが、視線を浴槽と床の間の溝(築40年ほどの古いアパートのせいもある)にずらすと、そこにピアスが落ちていた。そして数センチ左には昨年失くしたもう一つのピアスが…!最初からそこにあったのだ。

二つのピアスの再会である。また流して失くしてしまわないようにすぐに浴室の外へ退避させた。それでやっと今年が始まったような気もしたし、何かを暗示しているようにも思えて嬉しかった。迷ったら潔く浴室の外に出て、別のピアスを楽しんだあと、また浴室の入口から入ればいいのか、と勝手に満足した時間だった。

そして、これを機に、これを機に、どうすればいい?どうすればいい?

と相変わらず、予兆だけで一日を過ごす私だった。


#日記 #予兆 #余韻

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