幸せだった頃の記憶。
1990年代のとあるオリンピックの閉会式の最中、私は生まれたそうだ。
産まれたのは夕方、その数時間後である夜中に停電して非常に苦しい夜を明かしたと母から聞かされたことがある。
まぁ何はともあれ健康体で産まれてきた私は暑苦しい中でもすやすやと寝息を立てて寝ていたそうで、さすが私だなと感心した不思議なエピソードである。
そして妹が産まれたのは私が2歳半頃の事。軽い喘息といくつかの食物アレルギーがあり「か弱くて目が離せない」という印象の彼女が我が家にやって来た。
だが、まだこの頃は私も十分に愛されていたと断言出来るほどの記憶が残っている。
父は某国家の隊に所属して居る人で…恐らく富裕層と呼ばれる家庭で私は育ったはずなのだ。
私が幼稚園生の頃までは父の社宅で暮らしていた。
朝が早い父は私が目覚めた時には既に家に居らず、夕方に母の手料理で夕食の準備が整った頃、隊へ電話を掛け「ないせん○○○ばんに、おねがいします!」「おとうさん?ごはんできたよー!」と言うのが私の仕事だった。
家族全員で食卓を囲み、一緒にお風呂に入り、鏡の前で並んで歯磨きをした後少し遊んでもらう。21時になると寝かしつけられて…そしてまた次の朝目覚める。
そんな日々が私の中で幸せだったと思い返せる唯一の記憶の様な気がしている。
様子が変わったのは私が年長さんに上がった年、引越しをきっかけに少しずつ歯車が狂って行くのである…
これから先は次の話でお会いしましょう。