自殺念慮と希死念慮の違い、私の本心、想い


おはようございます

先月よりトラウマのフラッシュバック(長年続いた虐待)が止まらず、久しぶりに我慢していた「自殺念慮」を口に出しました。

希死念慮じゃないの?何が違うの?と言う事を、二つの感情を同時に抱く私の視点からお話ししたいのと、私がどう言う気持ちで死を選ぶ方向に考えが及ぶのかについて、一部の人のために、書きます。


【希死念慮】


希死念慮を抱く人は現代において珍しくなく、苦しい思いをした人なら、死にたいと口にした事があるのではないでしょうか。

私の中で希死念慮はとても身近で、言葉にこそ出しませんが「漠然とした諦め」「この世界に期待しない」「自分を殺してやりたいと思うような自己嫌悪」「過去の記憶を消したい」など、

(衝動性)(漠然とした不安)(過去にまつわるもの)
などが多く、鬱病の私は悪い事を忘れにくいのもあり、根底にずっと流れ続けているものです。

言わば心の中の下水道に流れる水で、不定期でドバドバと地上に出ようとします。



【自殺念慮】

自殺念慮と言う言葉をご存知ですか。
希死念慮と違い、>>落ち着きがあり計画的な<<自殺願望です。

私の場合、希死念慮を抱くときは漠然とした不安や恐怖から死にたい!!と思うのですが、自殺念慮は「確実に何かを諦めたとき」「もう自分を楽にしてあげてもいいと言うような脱力感」「いろいろな事を受け入れられる様になる」「確実に孤独だと感じたとき」「未来を見据えた時に希望が見えにくい」など、

(今までの焦燥感から急に解放される)(自己を許してあげる)(今までや現在進行形の苦しみに対して歯向かう気力を捨てている)(未来を見た時に起こりやすい)
と感じています。


この二つは似た様で、私の中でかなり違うものです。希死念慮を抱く段階は、本当は生きたいはずです。そして自己嫌悪やトラウマやどうしようもない現実で足掻く、そう言う状態で、戦っている、血を一生懸命止めようとして止められない状態と思います。

自殺念慮は実はこの人生で、3回しか抱いていません。しっかりと計画を立てて未遂を今まで二回しました。3度目の自殺念慮は今回、まさに今です。心がもうすで苦しみの向こう側、むしろこの世に感謝し、失血寸前、もう動くのも諦め、傷に包帯を巻かなくなるのがこの状態と思います。

希死念慮はこの世が憎くて苦しく、自殺念慮は今までの思い出が溢れかえって寂しいです。

この寂しさは、最後の生きる糸だと思います。


【本心】


6月に鬱が悪化し、1年後くらいに入水自殺するべく楽に死ねる様にと睡眠薬を貯める様になりました。恋人や友達に縋るのは経験上かなり相手にダメージを与えるので、黙っていました。みんなには楽しく笑ってて欲しいです。

そんな中でトラウマ克服セラピーに行き、過去の記憶を掘り返してしまったことにより、死にたいと口にする様になってしまいます。
そして、それは心が血を流しているサインでした。助けて欲しかったです。誰でもいいから生きる方に舵を無理やり取って欲しかった。そのくらい他者に責任転嫁するくらい頭が真っ暗になっていました。

そして判断力が鈍った状態で、一人の人間にいきなり死にたいと言い、相手はかなりお疲れ気味な状態であることも配慮できず「見放された」「最後の綱が切れてしまった」と思い込み相手を責めました。後悔しかないです。ずっとです

そして自分で自分を追い込み限界になった私は、諦めからTwitterにて自殺する旨を書き、宣言しました。

「生きて欲しい」「死んでもいい」「簡単に何も言えない」「止めない」と言う意見を頂きました。どの言葉も全てその人らしく、美しく、有り難かったです。

次の日、大事な人が動物たちが沢山いる美しい景色を見せに連れて行ってくれました。そこでテラスに座り、沢山の事を話しました。「自殺したい気持ちは簡単に揺らがないこと」を始め、色んなことを話しました。話の最中ふと通知から友達のアカウントが目に入り、友達は絵を描いているのですが、「この作品をもっと観ていたいなぁ」と思いました。そしてここにもまた来たいなぁと思いました。とてもとても寂しくなりました。この世界の悪い点ばかりが目に入りとにかく封印したかった私は、この世界で経験したかけがえのない時間のことをすっかり忘れていました。

あれだけ決意表明したのにダサいと思われるかもしれませんし、最後の言葉をくれた人もいましたが、ただこの映画をもう少し観ていたいです。

この先何が起こるかもわからない世界で未来に立ち向かうのはとても怖いしこれ以上の苦しみは受けたくありませんが、もう少し観ていたいです。

今だに心の底には死にたいと言う様々な悲しみが混ざった泥水の様なものが流れ続けていますが、今まで色々な耐え難いことに襲われてきたしこれ以上は悲しい出来事に出会いたくありませんが、全てが賭けの様な人生に、もう一発賭けていいと思います。

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