「戦争」なんか「時代遅れ」だと思っていた。

軍事力が使われることがあっても、それは途上国間の国境や民族をめぐる紛争が中心で、先進国同士が戦う大きな戦争はもう起きないと思っていた。そして戦闘は、巡航ミサイルや無人機によるピンポイントの精密爆撃が中心で、地上戦は、強力な航空支援を受けた地上部隊が大した抵抗も受けずに占領・勝利するものだと思い込んでいた。現代では、軍事力というものは相手に自らの力を誇示し、威嚇するための手段に過ぎず、ゴリラのドラミングみたいなものだと思っていた。冷戦もとっくに終結した21世紀は、経済での覇権をめぐって、大国どうしがしのぎを削る経済戦争が中心になると思い込んでいた。だから今回、ロシア軍がウクライナとの国境付近で行っていた演習はあくまでも威嚇に過ぎず、軍事侵攻は起きないだろうと信じていた。万一侵攻が始まっても、圧倒的な軍事力の差により、ウクライナ軍は短期間で制圧され、ロシア寄りの傀儡政権が誕生するが、大規模な戦闘にならない。そう思っていた。そこに、まさかの侵攻が起きた。起きたばかりでなく、先の大戦以来の、大きな戦争に突入してしまった。「第三次世界大戦」や「核戦争」という恐ろしい言葉さえ飛び交うようになった。どうしてそうなったのか?どうすれば戦争を終わらせることができるのか。そして僕には何ができるのだろう。いまだ答が見つからないでいるけれど、自分の頭の中を整理してみたいと思う。

世界が嫌な方向に向かっている。
今回のロシアによるウクライナ侵攻の報道を見ていて一番感じるのは、世界が「なんだか嫌な方向」に向かって「また一歩進んだ」という印象。「嫌な方向」というのは香港の民主派弾圧やミャンマーのクーデター、ベラルーシのルカシェンコ政権についての報道に触れた時に感じた印象と同じだ。世界中で、力によって(軍事力であれ、経済力であれ、情報操作であれ)社会を強引に変えたり支配しようとする人間や集団、国家が増えてきていて、その勢力を拡大しつつあるような気がする。香港の民主派は、ほぼ封じ込められてしまったし、ミャンマーの軍事政権はスーチー氏を軟禁したままだし、市民への弾圧は続いている。不正な選挙で再選したベラルーシのルカシェンコも権力を維持している。そして、その最右翼に立っているのがプーチンだと思う。1999年のチェチェン紛争、2008年のグルジア紛争、2014年のウクライナ侵攻とクリミア併合…。彼は力によって世界を変え、支配しようとしてきた。また反対勢力のリーダーや自らに批判的なジャーナリストを暗殺や拘束によって容赦無く排除してきた。そんな人物を、ロシア国民も、西側もずっと野放しにしてきたのだ。僕はリトアニアのシモニーテ首相の「私たちは以前から警告してきた。侵攻は起こるべくして起きたのだ」という主張に全面的に賛成する。プーチンは目的のためなら手段を選ばないし、嘘も平気でつくし、人命を犠牲にすることも厭わない独裁者なのだ。西側諸国は、彼の不当な行為に対して様々な制裁を科してきたが、それは「あまりに小さく、遅過ぎた」とリトアニア首相は言う。ロシアに制裁を加えながらビジネスは止めなかった。ロシアンマネーの匂いにつられて西側諸国が、独裁者との対決を先延ばしにしている間に状況はどんどん悪化していった。そして侵攻は「起こるべくして起きた」のだ。
報道を見ると「戦争反対」「徹底して戦え」という圧倒的多数を占める主張と「降伏して人命を守れ」という少数だがリアリスティックな主張の論争が続いている。僕はどちらの主張を支持すればいいのだろう。

僕たちは歴史の大きな変わり目に立たされているのかな。
上の方で書いた「世界が嫌な方向に向かっている」という印象からすると、この侵攻は一時的な戦争ではなく、世界中で現在進行中の、長くて困難な戦いの一部なのだと思う。仮にウクライナが降伏し、親ロシアの傀儡政権が誕生するが、将来的には国民の支持が得られず、政権を維持できずに、結局は民主政権が復活するかもしれない。しかし、今回の敗北は敗北だ。勝った専制主義者たちは、他の地域でも同じような暴挙に出るかもしれない。ウクライナを自らの属国としたプーチンは他の東欧諸国にも目を向けるだろう。核の使用をチラつかせ、第三次世界大戦の勃発も辞さないと脅かすだけで西側諸国は手を出してこないと知り、ますます増長するかもしれない。その様子を見ていた中国などの専制主義国家は、今度は自らの野望を遂げようとするかもしれない。ウクライナ侵攻を止められなかったバイデン政権が倒れ、分断と対立を煽るトランプ政権が復活するかもしれない。放っておくと、世界はどんどん嫌な方へ動いていくような気がする。そのためには、病的な嘘つきで、人命を犠牲にすることも厭わない、冷戦時代の亡霊のような独裁者を倒すことしかないのだという気がしてきた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?