明治維新150年に思う
今年は明治維新150年です。薩長土肥の鹿児島、山口、高知、佐賀各県では、過去の地元の偉人を紹介し業績をたたえる催しが行われています。
一方で、かつて幕府軍に属した奥羽越列藩同盟や会津といった、いまの東北地方などでは、当地の戦いで命を落とした武士たちを悼む行事が開催されていると聞きました。
ちなみにぼくが住む高知県の地元紙・高知新聞では、福島県の福島民友新聞の記事を掲載し、互いから見た明治維新を考える試みがなされています。
賊軍とされた幕府軍地域が官軍から受けた扱いには、苛烈極まりないものがあったと聞きます。武士団を北海道や不毛の地に移住させたりといったあからさまなものもあったため、いまだに薩長にたいする怨念が残っている地域もあるとか。その後の官軍(新政府)は、265年の天下泰平の眠りから覚めたあとわずか40数年のうちに清国・ロシアとの戦いに勝ち、朝鮮・台湾を植民地にしました。新政府軍の暴力的な側面は、1945年8月15日に昭和天皇が玉音放送し、つづく9月2日に東京湾上のミズーリ号上で、マッカーサーが見まもるもと、降伏文書に調印して収まるまで猛威をふるい続けました。
日本の歴史を見ると、1192年の鎌倉幕府誕生から1945年の敗戦に至るまでの750年間、武士が統治する軍事政権であり続けました。それ以前の古代にも現在の韓国・全羅道地域にあった百済と同盟して戦った白村江の戦いをやって敗れたように、どこかと戦争をしていた歴史が浮かび上がってきます。
ここから考えるに、日本が対外的に戦争をしないためには、ある仮説が成り立つように思えます。それは、沸騰する武士・軍人のエネルギーを、それを上回る強烈なエネルギーで押さえつけておかないといけないというものです。これについてはどこかで専門家が散々論じていることであると思いますので、ぼくのような素人が論じるのは軽率かもしれませんが、ざっとみて、その感をぼくはぬぐえません。
平安時代の公家、鎌倉幕府、足利幕府、徳川幕府。とくに徳川幕府は、地方勢力の上に君臨し、その一挙手一投足を監視抑制しました。それでも完全に諸藩の動向を制御することができず、結局、明治維新に至ったということは、日本という国の力は良くも悪くも地方の武家にあったということの証拠に思えます。
いまの日本で、そのような役割を果たしているのはアメリカでしょうか。戦後の日本に自由と平等、民主主義と人権を与えた功績を、われわれは天から宝が降ってきたもののように受け止めました。しかし、国やわれわれ日本人の本性は未だ変わっていないのではないか。沸騰するエネルギーは戦後、経済に向かい、今日を築きましたが、そのエネルギーはいつなんどきまたあらぬ方向に爆発するかわからないという恐ろしさを内包しているように思えます。
それが証拠に、日中国交正常化とその後の日中平和条約締結の際に、在日米軍の存在を中国が認めたのは、いわゆる「ビンのふた」理論を中国が受け入れたことに見ることができます。周辺国、とりわけ南北朝鮮の日本への厳しい視線も、日本の歴史・日本人自身が自覚していない性質を外から見て恐ろしく思っているせいではないか、そう思えます。
かといって、在日米軍をいつまでも日本に置き、アメリカの舎弟のような地位に甘んじることが今後何十年・何百年と許されて言いわけがありません。沖縄の人たちに犠牲を強いることは、政治的どうこうという以前に、倫理の問題として厳しく問われなくてはなりません。
われわれは、武力を使って対外的な物事を解決することはもはやできないし、現実的ではありません。資源も食べ物もそのほとんどを海外に頼っているいま、それは第二の亡国への道になるからです。平和を守ろうとすれば、われわれ自らが思っている以上の自制心が必要とされます。外交という、言葉の力がますます必要となります。情報にも通じていなくてはなりません。国のプライドのために命を捨てるより、民の幸福のためにあえて折れるところは折れないといけません。その上で主張すべきは主張し、必要最小限の武器を持ちそれを責任を持って管理することが必要です。
日本人皆がその認識を共有するとき、周りの国も安心できるし、なにより、われわれ自らが安心できる。素人ながらそうおもう明治維新150年です。
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