頭がよい人・仕事ができる人が怖い。けど・・・

 久しぶりにここに書き込みます。公務員を辞めてブロッコリーを作るためにいろんな調べ物をしたり、持病のうつ病が悪化したりでここにくることができませんでした。

 表題に書いたように、大人になって公務員として仕事をするようになって、仕事ができる人というのが怖くなりました。公務員の世界で頭がいい人というとやっぱり霞が関の人たち。記憶力が抜群に良く、難しい法文の本質を瞬時に読み解き、事務処理能力が抜群によい人を見ていると、とてもじゃないが僕なんかのようなノータリンには敵わんなぁと思ってしまいます。

 それに輪をかけたのがパワハラの経験。一番僕が苦手なことでバリバリ能力を発揮する上司に別室に呼ばれて尋問される日々。3ヶ月で60kgあった体重が50kgになり心身の限界を迎えたのが16年前。その後今日に至るまでのうつ病のきっかけになっただけに、余計怖くなってしまっています。

 その一方で、なぜか「君は賢いんだから・・・」と言われることもしばしば。2年前にASD(自閉スペクトラム症)の診断を受けましたが、幼い頃からまさにそのとおり。興味を持った分野にはとことんのめり込む一方で、そうではないところでは全くアホになってしまうのには小学校時代から気がついていて、「自分は当たり前の人間ではないのや。賢い人間のふりをしたアホながじゃ」と思ってきました。

 賢いと言われて孤立し、バカと言われてまた孤立。どっちを取るべきか・・・と考えるうちにバカを装うことを選択し、自分の好きなことへの勉強をしながらもひたすら封印したりそれとは別の世界を生きながら今に至っています。

 そんな中で、賢い人たちが我が世の春を謳歌するのを見ると、「この世の中、賢くて仕事ができるのを自他ともに認める人たちでこの世を回せばいい。僕なんかがこの世に出たところでアホ呼ばわりされるのがオチや。そういう人たちだけでこの世を回せばさぞかし理想社会ができるだろう」と半ば焼けバチで思うようになりました。

 ただ、「一寸の虫にも五分の魂」。今の世の中、そのような人たちが幅を利かせ、世の富を食い散らかして快楽を貪り弱者をいたぶっているのを見ると、やっぱり居ても立っても居られない思いがするのも正直あります。

 僕のようなバカが傲慢なできる人たちに対抗するためにはどうすればいいのか。いや、対抗なんて考えず、せめて彼らに煩わされずに我が道を征くために何ができるか。そのことを考えるうちに、ふと、自分の中にある人道主義者としての側面、自分と同じようにバカ呼ばわりされている人たちへの限りない愛おしさ、社会の片隅で膝を抱えている人たちへの思いが、山奥に生まれ育った幼い頃の自分に滾っていたのを思い起こします。

 たぶん、僕は世の中で幅を利かせる頭がよい人・仕事ができる人にはなれません。そんな柄じゃないと思っています。しかし、辛い思いをしている人たちのためと思えば何か内面にスイッチが入ってしまう人間なんだと思えてきます。

 彼らからちょっと距離ができた今、そんな昔の自分のスイッチがオンになり、電流がちょっと流れ始めてきたかも・・・と感じています。

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