弁護士−かつてなりたかった職業

 ぼくが大学に入学したのは1993(平成5)年4月。四国の山奥に住む高校生だったぼくは、森林組合で杉やヒノキの植え付けや手入れをする仕事をする親父や、僕が都会に行くことに内心不安を感じていた母親に、「わしは弁護士になるがじゃ!」と言い残して、東京の大学に進学しました。

 入学してさっそく、土日に一日中、憲法・民法・刑法を叩き込むように教える「国家試験研究会」というところに入り、勉強し始めました。教えてくれていたのは、大学の卒業生で弁護士実務をしている方たち。旧司法試験時代で、まさに詰め込み教育とも言える教え方で、右も左もわからないまま、外国語のような専門用語だらけの基本書を読み、法律の要件・効果、判例などなどを、覚えていきました。

 が、勉強していくうちに、なにかいろんなことにつまづき始めだした自分に気がつき始めました。最初に感じたのは、環境の激変による適応障害じみた症状がで初め、内容が理解できなくなってきたこと。そして、法律が頭に入らなくなりだしたことがあります。そしてなにより、法律や判例に疑問を挟むようになり始めたことに半ば愕然とし始めました。

 司法試験を教えてくれていた弁護士実務の方たちは、弁護士業界の常識をもって教えてきましたが、それが僕の中で非常に矛盾に満ちたものに思え始めたのです。当時はそれを飲み込むだけ大人になれていなかったと今となっては思えますが、興味が法律から離れていく自分が許せませんでした。

 そのうち次第に、法律の勉強に身が入らなくなりました。僕の興味は、語学や平和学、外交といった分野にうつり、法学部の授業がものすごく保守的で面白くないものに見え始めました。大学図書館にこもって読むのは海外の本だったりといった調子。そんな自分を直視できず、とにかく合格せねば!と自分の本性に背きながら勉強し、ついに卒業を迎えてしまいました。

 幸い、卒業と同時に職を得ることはできました。ただ、弁護士になれなかった挫折感は、その後も長く身を苛み続けました。

 今から思えば、なぜ本心に従って進路変更しなかったのか、不思議でなりません。と同時に、なぜ弁護士にそれほどこだわったのか。当初は社会正義や困った人のためになりたいという動機が、いつの間にやら自分の社会的ステータスのために移り変わったのではないか。今から振り返るとそう思えてなりません。そういう動機を叶える職業なら、他にもたくさんあるのにです。
 そのことを考えると、いまでもあの時の失敗を繰り返してはいけないなぁと、深く反省します。

 ちなみに、20年たった今、弁護士を取り巻く情勢は激変したと聞きます。僕らの時代に司法試験に通れば一生安泰だ、勝利者だと言われたものですが、いまの弁護士は、僕がいまもらっている給料より少ない400万やそれ以下の人が少なくないと言います。しかも、奨学金で借りた法科大学院の学費を返しながらといいますから、恐ろしい限りです。

 とかく、脚光を浴びている人、勝ち組を豪語している人たちをみては、羨むことが多いです。しかし、人生は長く考えなくてはいけないのではないかといまとなっては思えます。それは、僕がいまいる公務員とて例外ではないように思えます。

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