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散文¦書き出すことの大切さ

ふと考える。

「自分の居場所はnoteだ。」と。

少し前までは、その役目はXにあった。
でもここ最近はあまり手が延びずにいる。

いつか誰かの投稿していたポストで見かけた、
今のXはTLを開く度に、「今日怒るためのトピックはこちら!」とオススメしてくる。という
呟きがとてもしっくりくる。

そしてなぜか「子持ちVS独身」「男性VS女性」「YouTuberの不祥事」「ラウンジ嬢がやってるダイエット方法」「推しを巡るマウント合戦」みたいな、自分が全く求めていない情報が渦になって雪崩込んでくる。

見辛すぎませんか?(ただの愚痴)

私がSNSに求めているのは、日々を暮らすことがあまり器用ではない自分へのヒント。大丈夫でない日のやり過ごし方や、面白い本、楽しそうな催し、美味しいご飯のお店、今日をあと一歩良い日にするために私はこんな事をしましたよ〜という情報だ。

マウントやヘイトのノイズの無い、自分ではない誰かの何気ない日々の営みが見たいのだ。

その点、noteは治安が良い。

休職中に毎日日記をつけていたこと、私はその行為自体に救われていた部分が大いにある。
悲しみや不安や絶望は自分の中に留めておけばおくほど、ドロドロと硬さを増していく。
だからといって誰にでも吐き出せる訳もない。

また、「今これとこれが辛くて解決したいんだけど具体的に何が要因になって辛いのか分からないし、理想的な解決法のイメージが漠然としている。すぐに手を付けるべき事は何だろう。」というような脳内会議の開催にももってこいだ。

脳内会議は脳内で完結するとあんまり明るい方向にはいかない。加えて、夜に開催するのも良くない。昼の方が良い。アンミカも言ってた(多分)

文章を書く、という逃げ場があってよかった。

今が暗闇でも自分はちゃんと先々のイメージを持つことができるし、色んなリスクを予想しながらもその時々の最善を選んでいける。と、仄かな自信にもなる。

まだまだタスクは山積みだけど、頭がパンクしないようにnoteを大活用していこうと思う。

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