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重箱の隅にある差別

 差別やら区別やら、大きなものよりも小さなものを見る方が得意なヒトは、自然と細かなところに目が行きがちです。森を見て、わかった気になり、木を見る。そして、木を見たことにより、それを拡大解釈して、森に当てはまる。何事も大は小を兼ねると言いますが、小への魅力を払拭しながら、大を選んでいる気がします。つまり、小をイメージして、その小の集合体が大である、ということです。
 さて、この細かな箇所を見る技は差別の世界にもあります。1番有名なところで言いますと、人種差別です。人種とは一体なんなのでしょうか。白人、黒人、黄色人種がメジャーな仕分けです。その仕分け方法はどうやら皮膚の色のようです。そして、その皮膚の色により、ヒトの優劣が判断されます。
 〇〇人だから優っている、〇〇人だから劣っている。低俗かどうかの判断もこの皮膚の色で判断しがちです。
 この皮膚の色ですが1mmの表皮にある色です。たった1mmでの世界をヒト全般に適応しています。なかなか面白いことをしています。
 細かなところに目がいくヒトと考えますとごく自然なことです。細かなところを見て、全般に当てはめます。
 このように差別をよくよく考えてみると、ヒトはなんとも職人なんだろうと思います。職人は作品に対して事細かに見ます。この職人気質がもともとヒトには備えられています。ゆえに、事細かな作業を得意として、自然界にはない人工物を自然へと投稿し続けています。
 偏差値にしても細かいです。まず、2桁の世界です。2桁の数字を超絶なバランスで区分けをして、ヒトの優劣を付けています。偏差値60と偏差値70というたった10しか違わないのに、そこには確認しきれないほどの差があると判断します。知識の量や理解の能力、頭に何かを入れてそれを噛み砕くブラックボックス力など様々です。このような有限内の限りなく無限に近い力をたった10という数字に入れ込みます。まるで職人技です。
 そもそもヒトの設計図は恐ろしいほど巨大です。細胞ひとつずつにあるDNAという二重螺旋お蕎麦がなんとも長いこと長いこと。どうやら1mはあるようです。細胞が60兆としますと、そのお蕎麦は冥王星まで続くとか。残念ながら冥王星は惑星ではなくなりましたので、ロマン数は減ってしまいますが、ピンときません。
 ここでひとつ。そのDNA内での差別でしたら、それはもはや差別ではなく、仕方がない仕分けです。距離が長過ぎます。何かしらの違いはある方が自然です。

 

バナナを購入したいと思います。メロンも食べてみたいです。