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絵を描くこと

高校入試や大学入試の英文を分析した後、確実に頭の疲れを感じているのですが、そのままiPadを手に取り絵を描く作業に移ります。そしてそのまま深夜の時間帯となり寝なければ明日の授業に響くなと思い眠りにつこうと試みます。しかし、眠りにつこうと布団の中で目を閉じていますと頭の中で、先ほどまで描いていた絵が再現され線を付け足しています。時間が少し経つと何も描かれていない状態の画面に切り替わり、そこから別の絵を描き始めます。基本的には私が好きな動物、植物、森などですが、日本史関係で仏像や偉人たちの絵、ゲーム関係でffやバイオ、三國無双などを自由に組み合わせております。セフィロスと不空羂索観音、チンパンジーとオメガウェポンのジャンクション、ジャングルの王者ターちゃんと呂布が極楽浄土で宴を開いているなどのシーンを想像しております。

小学生の頃絵を描くことがとても楽しく、とても好きで親にお絵描き帳を買ってもらいそこにクレヨンや色鉛筆で当時好きだったドンキーコングやドラえもん、笑ゥせぇるすまんなどのキャラクターをよく描いておりました。好きなものを自分の手で再生する作業とでも言いますか、自分を経由することにより既存のものでも新鮮味を味わえる、世界で一つしかないもの、特別感などといった新しい感覚を得ていたことを覚えております。

私の祖父母の家は山の中にあり自然に囲まれておりました。竹藪がありそこに野生の猿が来たり蛇が道で這っていたりしておりました。そのような光景を目にした後は、その光景をお絵描き帳に描き描きして楽しんでおりました。縁側に出て祖父母の庭を描いたり、飼っている犬、猫、豚、鶏を動物たちの側で描いたり、動いている動物をただ単に見たり、とても楽しい時間でした。

中学生になって美術という科目が始まりました。絵を描くことは好きでしたが美術はそこまで好きになれませんでした。そのきっかけは2つあります。1つ目はある授業で風景を描きそれを提出した時です。風景を描き色を塗る。その時私はふと、色を塗らない部分を作って別次元を表していることにしよう、と考えて色を塗らないで提出しました。提出をして美術の先生から言われたことは「何で塗ってないところがあるの。完成してないじゃん」でした。説明をする機会もなくそのまま未完成品として処理され、確かその時の美術の成績は落ちたと思います。中学生の頃の私は先生=その分野の天才と考えておりましたので、きっと分かってくれると期待をしておりましたのでショックを受けました。2つ目は木彫りのキーホルダーを作る授業でした。何か自分の思い出をキーホルダーにするという授業でした。私は家族で旅行をしたシンガポール関係にしようと決めて、現地で両親が買ってくれたマーライオンのキーホルダーを題材に選びました。そして美術の先生に言われたことは「キーホルダーをキーホルダーにするの…」でした。小学生の頃の思い出として既存のドンキーコングなどを自分の手で再度描いて自分だけの特別感や幸福感を味わっていた私としては何が悪いのかさっぱり分かりませんでした。自分が好きなものを作るという感覚はダメなのかなと心に刻み込まれた瞬間でもありました。

(小学4年生の頃の話を追加します。絵を描く授業があり絵を描きました。当時の私は遠近法など知らず距離感を出すため遠くのものを画用紙の上部に描きました。下手でしたが自分なりに考えて描きました。しかし担任の先生からはなんで空中に浮いてるのという言葉でした。やる気が失せた出来事です。)

ぐちゃぐちゃな絵でも両親や祖父母は褒めてくれました。しかもその絵を家にかざってくれました。無条件で褒めてくれる人々に囲まれておりましたが、評価をする人が自分の人生に介入して、その楽しい時間を蝕み始めました。私を褒めてくれた人の方が多く褒めてくれた回数も多いのですが、評価をする人の言葉の方が何故か強力で少ない言葉でも心に突き刺さります。

現在好きな絵を描くことを再開しております。ここまでたどり着くのに約15年以上かかりました。小学生、中学生の頃の心に刺さった言葉を溶かしきるのにだいぶ時間の消費が必要でしたが、子供の頃に感じておりました楽しい時間空間に再び浸れることのできている日々に感謝致します。

私の絵にスキを押してくださっている方々には感謝しております。完璧完全の絵ではなくても良いのかなと心の一助となっております。またLos様には特別な思いがございます。『Enma(the beginning)the second day』のご購入をして下りありがとうございました。私の絵が私の元以外にも出向するという経験は変え難いものでした。今後とも宜しくお願い致します。


バナナを購入したいと思います。メロンも食べてみたいです。