![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/142231171/rectangle_large_type_2_586640df01c7675067012f405ca812ca.jpeg?width=800)
今日の100円たこやきと、くるりの三日月
今日の100円たこやきです。(5/29)
本日はマヨがけ。マヨはいいですね。
主役にはなれないかもしれない。
だけどやっぱりあるとうれしい存在。
縁の下の力持ち。
あなたがいるから、なんだかちょっといつもより美味しく感じます。
わたしもそんな人になりたいです。
ところで、くるりの「三日月」をご存知でしょうか。
くるりといえば、「ばらの花」が代表曲かもしれません。
わたしもにわか程度にしかくるりのことはわかりませんが、この曲は数ある全ての邦ロックの中でも群を抜いて好きです。
短い曲ですが、あったかく心を包んでくれるメロディラインがなんともたまりません。
今日あった嫌なことも、誰にも言えない葛藤も、とりあえず抱擁してくれる。
大袈裟じゃなくて、さりげなく。「元気にやってる?」って肩を抱いてくれる感じがします。
特にラスサビがたまりません。
「君と出会って 僕は初めて
1人でこの街を歩いていく
この淋しさを この淋しさを
どうか優しさに変えていきたい
どうか優しさに変えて届けたい」
恋人に歌った曲かもしれないし、家族に歌った曲かもしれないし、友達に歌った曲かもしれない。
その誰かと歩き慣れた風景を、もうその人とは見れないことへの寂しさを歌っているのかもしれない。
その解釈はそれぞれだけど、この感じ、すべてをなぞらえていなくともたぶん誰しもが経験したことある感情だと思います。
大切な誰かに会ったとき、今日が楽しくて仕方がなかったとき、それでもお別れの時間がやってくる。
駅の改札を抜けて、ホームで1人で電車を待つあの感じ。
静かな夜の下、街灯に足元を照らされながら見慣れた帰り道を1人で歩くあの感じ。
今日が楽しくて楽しくてたまらないと、泣いてしまいそうになる寂しさがあります。
きっとまた会えるのに、それでもずっと続けばいいのにと願うほど、わたしたちは寂しがりにできているのだと思います。
この曲を聴くたび、その淋しさに触れた歌詞になんとも言えない気持ちになります。
そしてその淋しさを、「どうか優しさに変えていきたい」という結びがあったかすぎて、どうにも琴線に触れてしまいます。
「寂しい」と「淋しい」では意味が違うそうです。
調べてみると、「淋しい」の方がより孤独感が強いといった感じ。
淋しさに気付く。淋しさを知る。
それは、孤独と2人きりになる感覚。
虚しさも切なさも、全部ひっくるめて
今日が楽しくてあなたが愛しいから湧き上がるもの。
だから、わたしもやさしい人になりたいです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?