シロナガスクジラとねずみ
海のちかくにおおきな博物館がありました。
おおきな博物館のおおきな部屋には、おおきなシロナガスクジラがいました。けれども、このシロナガスクジラは骨ばかりでした。生きていたとき、あんまりおおきくて、あんまり力がつよくて、あんまりおもたかったので、骨になるまでまってからやっと博物館に入れることができたのです。博物館にやってくる子どもたちは、口をあんぐりとあけてシロナガスクジラをみあげました。
「なんておおきいんだろう」とみんなはいいました。
「生きてたときはさぞすごいやつだったろうな」
けれども夜になると子どもたちはいなくなり、シロナガスクジラは博物館のがらんとしたおおきな部屋にたったひとりでとりのこされます。シロナガスクジラは、ほんとうはとてもさびしがりやでした。
「ああ、海へかえりたいなあ」
シロナガスクジラはふかいためいきをつきました。たったひとつのちいさなあかりとりの窓からさしこんでくる月の光をみつめながら、みえない涙をながしました。
「でもこんなすがたになってはもう海へかえれない。たとえ海へかえっても、もうだれもぼくだとはわからないだろう。ああ、それでもいいから海へかえりたい」
そういってシロナガスクジラはさめざめと泣きました。
ある晩のことです。守衛さんがしめわすれたあかりとりのちいさな窓から、いっぴきのねずみがシロナガスクジラのいるおおきな部屋に入ってきました。
ねずみはシロナガスクジラの骨をみるといいました。
「なんておおきな、まっしろな船なんでしょう」
するとシロナガスクジラは泣きながらいいました。
「ああ、ぼくは船じゃないんだ」
「でもまるで宇宙船みたいにみえるわ」とねずみはいいました。
「ぼくはシロナガスクジラだ。海にいたんだ。きみとおなじように生きてたんだ」
ねずみはおどろいて目をまるくしました。
「でも、そんなにおおきなひとがどうして泣くの?」
ねずみはシロナガスクジラにききました。
「おおきくてもきみとおなじさ。ぼくはとてもさびしい」
「それにあなたはなんてしろくてすてきなんでしょう!」
小さくてまっくろなねずみは感嘆の声をあげました。
「ああ、ぼくが海で泳いでいるすがたをきみにみせたかったよ。ぼくぐらいおおきくて、ぼくぐらい力がつよくて、ぼくぐらい歌のうまいクジラはいなかったんだ。でもぼくは、きみみたいに小さかったらどんなによかったろう」
そういってシロナガスクジラはふかいためいきをつきました。
「ぼくがあんまりおおきくて、つよくて、歌がうまかったから、人間はぼくをつかまえたんだ」
「ああ、歌ならわたしだってまけないわ」とねずみはいいました。
「それなら、ぼくに子守歌をうたってくれないか」
シロナガスクジラがねずみにそうたのむと、ねずみは子守歌をうたいはじめました。ねずみの子守歌は、がらんとしたおおきな部屋をやさしいひびきでいっぱいにみたしました。
シロナガスクジラはじっとみえない耳をそばだててねずみの歌をききました。
「ああ、きみの歌は心にしみるね。お礼に、こんな体でよかったら、ぼくをかじってもいいよ」
「ありがとう。」
ねずみはシロナガスクジラの骨をすこしかじりました。
それからシロナガスクジラは海でくらしていたころのことをねずみに話してきかせました。ふしぎな形のちょうちんをピカピカ光らせながらおよぐ深海魚や、嵐のあとで海にかかる、地球をまるごととりまくくらいおおきな虹、そして、南の海にまだ生きているという首の長い竜の話などです。
ねずみは、シロナガスクジラの話をききながら、海はなんてふしぎなところだろうとおもいました。こんど生まれてくるときはクジラになりたいとおもいました。
こんなふうにして、まいばん二人はすごすようになりました。
それでもシロナガスクジラはねずみの子守歌をきくたびに、「ああ、海へかえりたい」といってはさめざめと泣きました。
次の満月の夜のことです。
その日は一年でもいちばん月の光の濃い晩でした。月の光の濃い晩には、光にのってたくさんの胞子や花粉がたびをするといわれています。
博物館のあかりとりの窓はその夜もすこしだけあいていました。
「こんや、あなたを海へかえしてあげようとおもうの」とねずみはいいました。「すこしくるしいかもしれないけれど、がまんして」
そういうとねずみはクジラの体にするするとのぼっていきました。そしておおきな骨とちいさな骨のあいだ、ながい骨とみじかい骨のあいだを、いっしょうけんめいかじりました。
「いたくない? くるしくない?」ねずみはなんどもききました。
「いいや、くすぐったいだけさ。ちっとも痛くはない」
シロナガスクジラは月の光をあびながら、じっとしていました。
やがて、月の光の濃い晩の、いちばん月の光の濃い時間に、シロナガスクジラの骨はついにばらばらになりました。
あかりとりの窓からはまっすぐにミルクのような月の光がさしこんでいます。
「ああ、きっとこれならだいじょうぶだわ」とねずみはいいました。そしていつもシロナガスクジラにうたってきた子守歌をうたいはじめました。
するとどうでしょう、シロナガスクジラの骨は子守歌にあわせて、ミルクのような月の光にのって、一本、一本、まっすぐにあかりとりの窓の方へのぼっていったではありませんか。窓から外にでるとさらにまっすぐ月をさして、まっしろな骨はいちれつにならんで空のかなたへのぼっていきました。
それはながいながい行列でした。地球をまるごととりまくくらいのながい行列でした。一本の白い糸が天へむかってのびているようにもみえました。その糸によりあわされて、ねずみの子守歌もながれていきました。
そしてはるかかなたの海で、シロナガスクジラの骨はゆっくりと海へおりていきました。
水平線がほのかにうすあおくなりはじめるころ、シロナガスクジラの最後の骨が海へしずみました。
もうだれもいない博物館のおおきな部屋に、ねずみはたったひとりでとりのこされました。
「ああ、こんど生まれてくるときは、きっとねずみになるといいわ」
ねずみはそういうと、朝日のさしてきたあかりとりの窓へするするとのぼり、外の世界へでていきました。
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