○○/時間=価値?
もう遅いですが、桜の時期でしたね。
一概に「さくら」と言っても、植物のさくら、人名のさくら、やらせ的な意味のさくらもありますね。
昔私の父が「桜は咲いている時期が短いだけで特別扱いされてる。梅のほうが綺麗」的なことを言っていた。
なかなか良い感性をしておる。捻くれてるのはどうやら遺伝らしい。
でも私は桜のほうが好きだ。理由はなぜなのだろう。なんか好きだ。遺伝子レベルで。
なんか今日は遺伝系の話が多いが、たまたまだ。
たまたまで思い出したが、『「たまに」と「時々」の違いってなに?』と、幼稚園時代に疑問を抱いた気がする。
あのときの小さい脳みそにしてはなかなか良い感性をしていると思う。
話を戻そう。
やらせ的なさくら(以降:サクラ)は、なぜさくらなのだろう。桜は心外なのだろうか。
植物に心はないから、種外とでも言うのだろうか。
なんか今回は話がぶれぶれだ。しゅしがぶれぶれ。植物だけに。
今日はもう脳みそがオーバーワークしているらしい。自分でも驚きのくだらなさだ。
今度こそサクラについて。なぜさくらというのだろう。
わざとらしく賑やかな様が、花見をしている人のようだ的な意味合いだろうか。
ここまで考えたが、正直けっこうどうでもよい。
もう桜の時期終わっちゃったな。また一年か。長いな。
来年の桜は突然変異して一か月くらい咲きほこらないだろうか。
そうしたらやはり、桜としての価値は薄まるのだろうか。
咲いている長さと価値の高さは反比例するのだろうか。
天才が短命なのも、こういう理由なのだろうか。
だったら私は嫌というほど長生きしそうだ。
この嫌な人生を。
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