どうせなら
お久しぶりの投稿になってしまいました。
三日坊主だと思っていたそこのあなた。半分正解です。
忙しいことを言い訳に書いてませんでした。三日ベリーショートくらいにはなってたかなと思います。
そんなことはどうでも良くて、いま私は晩ごはんをどうしようか考えている。
なんてことない一日のビッグイベント。その名も晩ごはん。
一日の有終の美を飾る、その日を生きた自分へのご褒美とも言えよう。
とは言いつつも、毎日簡単に済ませている。だってめんどくさいもの。食材の高騰に目をひん剥いて材料買って、つくって、片づけして…
自分の思うがままに食事ができるのはけっこう嬉しいが、如何せんめんどくさい。味もまずまずの美味しさ。
(「まずまずの美味しさ」?不味いの美味しいの?どっち?じゃあ対義語は「うまうまの不味さ」?)
と、考えてしまうくらいには真剣に向き合えていない。
でも料理自体は嫌いじゃない。誰かのためにつくる方がやる気も出る。
てか料理ってすごいなと、ふと思った。
生きるために必要な行為をなるべく楽しく幸せにする研究が進められ、いまもなお進められている。
「どうせやらなきゃいけないなら良いもんにしようぜ!」と、クラスに一人はいるムードメーカーみたいなやつが始めたのだろうか。
だとしたらそいつファインプレーすぎる。現代の料理をたらふく食べさせてあげたい。
しかもその土地柄や文化も大いに反映されるのもおもしろい。赤味噌vs白味噌など、引き分けで良いじゃないかというような戦いも勃発している。
そう考えると料理は「食べる」以外にも、いろいろなアクションを生み出しているのだなと思った。
それもこれも、「どうせやらなきゃいけないなら良いもんにしようぜ!」さんのおかげなのだろうか。
まあ実際に「どうせやらなきゃいけないなら~」さんが存在したのかは知らないが。
料理じゃなくても、日頃から「どうせ~」さんを心に宿しておくのは良いのかもしれない。
私の心にも「どうせ生きなきゃならないなら良いもんにしようぜ!」と熱く訴えて欲しい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?