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自分の感受性は守れなくてもいいけれど

ねえねえ聞いて、20歳のあなたに、読んでほしい詩があるの。

茨木のり子というひとの、『自分の感受性ぐらい』、それから、『倚りかからず』。きっとかっこいいなあって思うから。

”(前略)
自分の感受性ぐらい
自分で守れ
ばかものよ”

と茨木のり子は書いたのですが、これが実は、なかなかむつかしい話で。いきなり全否定でごめんね。わたしは感受性のきっぱりしていないばかものなので、すぐに傷つくし、ときに揺らぐし、しばしばぶれます。
ただ、ちょっとだけ、だいじにしていることがふたつあるんだ。

ひとつ目は、「自分がごきげんになるためのものを知っておくこと」

つまり、自分のきげんぐらい自分で取ろうよ、ということ。
ふきげんでいるって、すごく人生がもったいない。自分のせいで周りが不愉快になるなんて考えただけでたまらない。

ふたつ目は、「『すきよ!』って言ってもらったら、『大好きよ!』ってお返しすること」

せっかく好意を向けてもらったのだから、それをそのままの質量でお返しするより、気持ちなりなんなり、付加してお返ししたほうが、大概の場合両者ともハッピーになれるよね。

どちらも言ってみればすごく単純なことなのだけど、せっかく周りにいろんなひとがいてくれるのだから、できることなら快適に過ごしてもらって、もっと一緒にいたいな、またお話ししたいな、とか、思ってもらえたら、とてもうれしいことじゃないかな。

ちょっと、自己評価が低すぎるかもと思う向きもあるかも、もっと(へりくだらない程度には)つよつよになってもいいのかもしれないけど、20歳のころのわたしはよわよわのよわだったので、そんなひとに寄りそいたくて。

でも、人生の終わりごろには、

”もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
(後略)”

なんて言えたりするのかしら。自分の見聞きしたこと、考えたこと、歩いてきた道、取捨選択してきたものだけをつみかさねて、自分のためだけの、だれに渡すでもない、思想や宗教や学問や権威をうみだせたら、かっこいいね。

ここからは蛇足。
わたしにとってきげんを取るために必要なものは児童文学です。どれだけつらいことがあっても、物語でほろほろなみだを解放してあげると、ちょっとだけおちつけたり、突破口が見えたり、すくなくとも、時間が解決してくれたりするので、おすすめです。
あと、人生について知りたかったら、『はみだしっ子』という、三原順の漫画を読んでみることもおすすめ。絵に馴染めないかもしれないけど、そしたら文字だけ追うといいよ。さいわい、漫画なのに、歴史漫画並みに文字だらけ。


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