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森田芳光全映画フルマラソン③④:「(本)噂のストリッパー」「ピンクカット 太く愛して深く愛して」──森田流ロマンポルノ2本立て

シブがき隊主演「ボーイズ&ガールズ」撮影後、間髪入れずに撮られたのが映画史に一時代を築いたにっかつロマンポルノとして制作された「(本)噂のストリッパー」。本作がにっかつ重役からも好評をはくし、続けざまに制作された「ピンクカット 太く愛して深く愛して」。

 ロマンポルノというと、数本しか観たことがないけれど、"うらぶれた男女がやるせなく情事を重ね……"というような、泥臭さや場末感が独特の味になっているジャンル、というイメージが個人的には強い。都会的で洗練されているという真逆のイメージな森田芳光の作風と合うのかどうか……?と思いながら観た。

「(本)噂のストリッパー」──乾いたタッチの失恋群像劇

 浦安にかつて実在したストリップ劇場「浦安ヌード劇場」を舞台に、ストリッパーグロリア(岡本かおり)、彼女に恋した青年洋一(宮協康之)劇場スタッフやストリッパーたちの姿を描く群像劇。

 ロケ撮影されたストリップ劇場の生々しい感触は、ソープ嬢が出てくる「の・ようなもの」にはないもので、かなりロマンポルノ味を感じる。

 しかし、ロマンポルノにありがち(?)な、男性目線のロマンチックな恋愛観やウェットでセンチメンタルな世界観は本作ではほとんど廃されている。
 グロリアは「の・ようなもの」で秋吉久美子が演じたソープ嬢エリザベスと同じく、知性的かつ独立心の強い女性として描かれる。ストリップの仕事も淡々とこなし、劇場の楽屋に初めて新聞を持ち込んだストリッパーとして一目置かれる存在だ。後半、グロリアはやりたくないと公言していた、劇場のステージで客相手に性交を見せる(本)(読みはマルホン)のショーを始めるが、それもディスコで出会ったお洒落な女性への憧れからという、個人的かつ自己主体的な動機。渋谷円山町の料亭に生まれ、幼い頃から芸者衆と近い関係で育ってきた監督だからこそ創り出せたと「森田芳光全映画」共著者三沢和子氏も語る、この時代には珍しい自立的な人間像を持ったキャラクターで、クールな魅力を感じた。

 一方、洋一はいわゆる夢見がちでウブな青年として描かれるが、彼の夢はかなり呆気なく潰される。グロリアへ自分の想いを伝えようと劇場の呼び込み(本作がデビュー作で後に森田作品の常連俳優となる佐藤恒治)に花束とラブレターを託すのだが、花束もラブレターも直後その場で破り捨てられる。それを知らず、ようやく(本)でグロリアと結ばれる洋一だが、当然彼女は花束やラブレターの存在も知らないし彼の告白も頑として無視し続ける。ただの客とストリッパーとして素っ気なくセックスは終わり、洋一は寂しく劇場を立ち去る。

 若さ故の無知さが際立つ手痛い失恋劇だが、グロリアの自立っぷりが非常に清々しいので後味は程よく乾いていて、そこが森田芳光らしいなと感じた。

「ピンクカット 太く愛して深く愛して」──多幸感溢れる世界観と明確に現れた対立価値観

 "床屋"がテーマの青春コメディで、就職活動に行き詰まる大学生明(伊藤克信)と亡くなった両親の代わりに床屋を切り盛りする大学生まみ(寺島まゆみ)の恋愛が描かれる。

 既存のロマンポルノの要素をふんだんに含んだ「(本)噂のストリッパー」と比べると、本作はかなり自由に作られた作品だという印象を受ける。前作ではにっかつ所属監督の手前使えなかった撮影セットが森田芳光らしいポップで都会的な世界観を作っている。

 「の・ようなもの」からの続投となった伊藤克信だが、本作でもほとんど志ん魚と同じようなキャラクター。全編可笑しみと無邪気さをたたえた存在感で、作品に楽天的な軽さを与えている。性交しながら「のの字書いてハッ」と呟き続けるというよく分からないギャグも彼なのでなんとなく説得力が出る。「の・ようなもの」でエリザベスに「アル・パチーノに似てるわよ」と言われていた彼の部屋に「狼たちの午後」のアル・パチーノの写真が飾られているなんていう楽屋オチギャグも。
 相手役の寺島まゆみも天真爛漫な可愛らしさが活きる配役で、二人のいわゆるバカップルっぷりが観ていて、なんというか、本当に多幸感に満ちていて楽しい。ラスト、リニューアルされた床屋の中で従業員、客も交えたエアロビ風ミュージカルで大団円という突飛な絵面も主役二人の魅力があってこそ成立したのだと思う。

 反面、「ピンクカット」には今までの森田芳光作品には出てこなかった、主人公と対立的な価値観との正面からの対峙が描かれる。「の・ようなもの」にも、志ん魚が交際する女子高生の父親に落語の腕前を貶されるという場面があるが、その父親の知識も急いで身につけた付け焼き刃であるというユーモアも含まれたものだった。 
 本作に登場する明の恋人由加(井上麻衣)は、栃木訛りが原因でなかなか就職活動がうまくいかない明に対し応援の言葉もかけるが、同時に「なぜうまくいかないのか」「両親に恥ずかしい」とかなり辛辣な言葉もかける。明が床屋の娘まみと良い仲になっていくなか、由加も新しく恋人を作る。一流企業に入社し身長170cm以上、車も持っているというその男は、明を紹介されるなり「てめえが由加の処女を奪ったのか!」と突然殴りかかってくる。明はその男を打ち倒し、きっぱりと由加と訣別する。そして、ようやく受かった会社の入社通知を破り捨て、まみの床屋で働き始める。

 ここには、これまでの森田芳光作品を観て自分が感じていた「脱線の肯定」の価値観と対になる価値観、「世間的常識への懐疑」が新しく打ち出されているように感じた。売れない落語家やソープ嬢、ストリッパーとして生きること、寮から脱走してヒッチハイクでバカンスへ出かけること、就職活動にうまくいかないことは"常識的に"考えれば普通ではないし不幸なのかもしれない。だが、森田作品で描かれたそういった人々は皆それぞれの人生を自分なりに幸せに生きていた。世間的に考えれば社会的地位のある男と結婚した
由加が、その時点では将来が分からない状態だった明に見限られたのは、由加や彼女の恋人、そして世間の硬直した"常識"に、明も、森田芳光も、ウンザリしていたからではないだろうか。

それは、森田芳光の次回作が子供達の受験競争に翻弄される一家を皮肉った「家族ゲーム」であるという点からも、なんとなく察せられるような気が、自分は、している。


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