見出し画像

森田芳光全映画フルマラソン⑧:「それから」──森田芳光の新境地と映画史の"それから"

 「家族ゲーム」で意気投合し、それぞれ高い評価を得た森田芳光と松田優作。「家族ゲーム」から2年後、再びタッグを組んだ二人が挑んだのが、兼ねてから森田芳光が映画化を望んでいた、文豪夏目漱石の「それから」。本作で再びキネマ旬報ベスト・テン第一位を獲得、その他映画賞も総なめした森田芳光は、名実共に「若き巨匠」(当時35歳)へとステップアップを果たした。

あらすじ

 高等遊民を自認する長井代助(松田優作)は、青年期からの親友平岡(小林薫)と現在は彼の妻である三千代(藤谷美和子)と再開する。代助は若き日、秘かに恋していた三千代を義侠心から平岡に嫁がせてしまったのだ。職を失い貧窮した平岡夫婦を経済的に援助していく内に、代助は三千代への想いを隠すことが出来なくなってゆき……。

初めての他者による脚本作品

 本作がそれまでの森田芳光作品と大きく異なる点は、何より脚本が森田芳光本人によるものではないという点だろう。

 これまでの森田作品には一貫して、さばけた人間観とそれを表すオフビートなユーモアが通底していた。凝った撮影、独特の編集といった映像表現技術が、時として映画そのものの構造すらも変わったものにしてしまう場合も多々あったが、それもかなり馬鹿馬鹿しいようなギャグのためだった場合もある。例えば、本作の前作に当たる「メイン・テーマ」は、全編に異常な情報量と撮影スタッフの技術の域が詰め込まれた、ある種の実験映画のような作品になっていた。
 
 だが、「それから」はそれまでの森田作品のテイストとは全く異なる、驚くほど非常にオーソドックスな演出に徹した作品である。お得意のオフビートなギャグや奇抜な映像表現は極力控え、親友平岡とかつての想い人三千代、実業家の兄(中村嘉津雄)と父(笠智衆)揺れ動く代助の姿を長回しを多用した撮影、新旧揃い踏みな名優たちの演技、瑞々しいと同時に後ろ暗い色気に満ちた映像美でじっくりと描いていく。(4人の男女の恋愛関係を明け透けに描く「メイン・テーマ」とはかなり対照的だ)

 脚本を務めたのは、筒井ともみ。それまでも、アニメ、テレビの特撮ものやドラマ(長渕剛主演のドラマ版「家族ゲーム」の脚本も手掛けている)など、幅広い場所で活躍してきた人物で、「古典の脚本は書けない」という森田のために松田優作が紹介したことが本作の脚本執筆に繋がった。
 筒井自身も「ときめきに死す」を観たとき「空気感や距離感が自分の世界とすごく近い。」というシンパシーを抱き、「この人とはいつかきっと仕事をするだろう」と思ったと述べている。
 実際、筒井はその後も「失楽園」「阿修羅のごとく」「海猫」といった森田作品の脚本を手掛けることとなる。


 社会=家父長制からの疎外感

 「それから」はそれまでの森田作品とは全く異なるテイストを持つ作品ではあるが、それと同時に過去作にもあった要素が重要な一部分となっている、紛れもない森田芳光の作品でもある。

 松田優作演じる代助は、30を過ぎても職に就かずプラプラしている高等遊民である。実業家の父親からの援助で社会からは距離を置いた生活を送る彼だが、いつまでも社会に向き合おうとしない代助に圧をかけるように、父親は財閥の令嬢とのお見合い話を進めていく。

威圧的な父、典型的なビジネスマンである兄だけでなく、借金を抱え職を探している代助の親友平岡もまた、代助に対してコンプレックスと裏返しのある種の優越感を隠そうとはしない。(平岡を演じた小林薫は役作りの一環で背中に矯正ベルトを入れて演技をしていたという)

 状況は違うとはいえ、いつまでも成熟しきらない青年の姿は「の・ようなもの」「ピンクカット」「ときめきに死す」でも描かれてきた。ただ、「ときめきに死す」で主人公の工藤が宗教団体に利用されていったように、本作でもモラトリアムを生きる代助に対し"社会"はそんなに甘くはない。
 若き日の恋愛に決着をつけた代助を待ち受けていたのは、親友と家族からの絶縁だった。ついに代助は、"社会"に向き合わざるをえなくなる。

 余談だが、周りの男達の態度には馴染もうとしない(馴染めない)代助は、平岡の妻である三千代や兄嫁の梅子(草笛光子)、姪っ子の縫(森尾由美)とはかなり良好な関係を築いている。仕事に忙しく、家を留守にしがちな夫たち(平岡に至っては夜遊びもひどい)とは対照的な代助は、彼女たちにとっても対等に会話が出来る唯一の男性だったのかもしれない。

 あの巨匠に与えた影響

 前述の通り、本作は「家族ゲーム」以来となるキネマ旬報ベスト・テン第一位を始め、様々な賞レースを総なめにした傑作だが、2022年現在、森田芳光監督作品としても松田優作主演作品としても、「それから」は「家族ゲーム」の影に隠れてしまっている印象が強い。古式ゆかしいまでの王道文芸映画である「それから」は、どこまでも異色な「家族ゲーム」と比べると、当たり障りのない作品に見えてしまうのも確かだ。

 だが、前項でも書いたように、「それから」は紛れもなく森田芳光の作家性が刻印された作品であることに間違いはないし、「家族ゲーム」と同様に現代にも通じる普遍的なテーマを描いた作品でもある。
 そして、鈴木清順を思わせるようなモダンで耽美な映像は、映画史にも大きな影響を与えた。

「グランド・マスター」より。随分前に観たがあまり覚えてない……。

 「森田芳光全映画」収録の映画学者晏妮氏による寄稿「『それから』の映像美学とアジア映画への影響」によると、「恋する惑星」や「欲望の翼」などで知られる香港映画界の巨匠ウォン・カーウァイは「それから」もとい森田芳光のファンであり、彼の2000年の作品「花様年華」は「それから」の手法に大きな影響を受けた作品であると指摘している。また、「花様年華」には「それから」の音楽を担当した梅林茂が作曲した鈴木清順監督作「夢二」のテーマ曲が印象的に使われており、「グランド・マスター」では「それから」のテーマ曲が使われている。

 また、これは私見だが、昨年、日本の家父長制支配を上流階級の人間の視点から描き高い評価を得た「あのこは貴族」も「それから」に連なりを持つ作品であると思った。

 森田芳光が日本を飛び越え、世界の映画史に大きな影響を与えた記念碑的な作品、「それから」。再評価の時は、今ではないだろうか?

次回は、Blu-ray BOXに唯一入らなかった幻(?)の作品、とんねるず主演の「そろばんずく」です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?