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食べることに興味がないわたしにとって、食べるということ

久しぶりにnoteへ。

食べることに興味がないわたしにとって、食べるということ。

それは、めんどくさいこと。

だから、冷蔵庫を開けて何かパクッと食べられるものが目に入れば、それを食べます。
空腹が満たされさえすればそれで良いのです。

コンビニへ行って手軽に買って片手でパクッと、何かしながら食べる食事は最高なのです。

ところが、20代の頃、
そんな風に日々、めんどくさい、めんどくさい。
と暮らしをないがしろにして
仕事や交友関係を中心に生活していると
病気になってしまいました☠️


それから母親になり、
やっぱり今でも食べるのはめんどくさい。
ひとりでいると、
お腹なんか空かなければ良いのに。
またお腹すいちゃったよー。
と、子どもたちに食べさせたくないおやつコーナーや
調理しなくても食べられるものをとにかくあさって食べる。

そんなタイプの人間です。

だからこそ、
家の中には、安心して食べられる食材のみ置いておきたい。
と考えているのです。


梅干し、すぎなパウダー、鰹節
我が家の中のイケイケな食材👏


日本は世界一の添加物大国だ。
という話や
農薬や水道水、、、
もうキリがないほど
安心して食べられなくなる情報にあふれかえっています。

食べることに興味がない、
というよりも、
食べられればなんでもいいのです。

だからこそ、
目に入ったものをパクッと食べても
さほどからだに負担にならないものを
ストックしておきたいのです。

ところが、
本物の食べ物というものは、
ストックができないという。

保存のため、
塩や砂糖に漬け込んだり、
乾燥させたり、
先人の知恵に関心したり、
おいしいと保存と栄養全てが
理にかなっているレシピに感動したり
冷凍という技に感謝したり、

食べるものを考える。
ということは、
先人たちの知恵や未来の豊かな自然環境と
おしゃべりしているようで
楽しいこともあるのです。

それでも、食べる。以外のことを考えていたいわたしにとって、
やっぱり、食べるため。という動機で
畑を耕したり、
スーパーへ買い物に行ったり、
台所へ立つことはやや煩わしいことなのです。

だから、
畑を耕すのは地球のため、笑
スーパーへ買い物へ行くのは実態調査のため、笑
台所へ立つのは修行のため、笑
という謎の大袈裟なモチベーションで日々生きているのです。

畑で、土から食べ物が成り立つ不思議を見ているのはとてもおもしろいことです。

もともと全ての食べ物は
小さな種やたまごであること。
命あるものを頂くからこそ生きていけること。
食べたもので肉体がつくられているということ。
食べるものを育ててくれる人がいること。
食べるものを運んでくれる人、
運ぶ道路をつくってくれる人、
運ぶ乗り物を作ってくれる人、
買ってきてくれた人がいること。
いろんな人のおかげで
わたしは食べさせてもらっている、生かされているということ。

当たり前に感謝すること。
これに気づくことができたのは
自分で土を耕してみたから。
汗を流してみたから。

決して机上で勉強していては知ることができなかったこと。

空腹を満たすために、
片手で立ち食いすることは今でも多いけど
ただ、
両手を合わせて、
どんな経緯で今、わたしの目の前にこの食べ物があるのか
誰が汗を流してくれたものなのか
だれがつくってくれたものなのか。
想像できるようになれました。
感謝の気持ちで胸をいっぱいにすることができるようになりました。

そして前よりも少しだけ
精神的な豊かさ
というものの意味が分かるようになりました。

食にこだわりがあるのではない。
実は、全くないからこそこだわっている。
マーガリンも添加物もおいしいんだもん。
外国産の小麦であっても、目の前にあれば残さず食べたいんだもん。

知識として知って、選択することしか、
わたしにはできないのです。

今日も食べること、
以外のことを考えたいから、
食べ物は安心安全なものを。
何も考えなくていいように。


矛盾だらけのわたし。

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