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小説を書くゆめ

 沢山のゆめを見てきたけれど、何をみている時にでも常にあるゆめが書いて生きていくことだった。新しいようで、実はずっと前から思い描いていたゆめ。

 文章を書いて生きていきたい。そう口にする時、おれの中では実は小説家と決めているのだけれど、いやおいそれはでっけぇ夢だなぁ、いつ叶う、いつからそれが仕事になる、と言われると一生の仕事な気がしていた。ので、心の中で決めてはいても、小説を書きながら何かしら他で収入を得ることを考えなければというのはわかっていた。これまでのゆめは、その過程で叶えたいゆめだったのかも。とすると、ライターが良いと思った。面白い人は元ライターが多い気がしていたし、ライターから他文筆業への道も遠からずというか道なりな気がした。

 今はどこにいてもインターネットの海に潜ればライターの仕事はできるのだろうが、何も持たないおれはやはり東京しかない、と思った。小説を書くのだって、まず東京を見ずには書けないとも常々思っていた。そして上京。花の都。ヒノ(彼氏)が一緒に行ってくれると言う。いいの? と言うと、暇つぶしだよと笑って始まる東京での同棲生活。楽しいに決まっている!!! ライターとして書く仕事をしながら、小説も書く。それには東京とヒノとの楽しい生活が絶対に必要(にゃーにゃも)。
 兄はじめいろんな人に反対されるかと思いきや、あれよあれよと言う間に思いつきがすぐ形になりかける。上京してまず渋谷下北新宿高円寺を見て、次にどうやってライターになるのか、とライター育成講座の説明会に参加した。
 ライターを多数輩出しているというその学校で、生まれてから2人目の動く小説家を見た。講師として紹介されたその小説家は、1人目であるサイン会での伊集院静とは全く違っていてどっしり感なく、その辺にいそうな細い大人だった。ペラペラと捲し立てるように話す運営の女性スタッフの合間に、そうですね僕の場合は、などと口を挟む程度の細くてやや高い声、20人程の参加者の誰ともきっと合っていない目線、そして白髪まじりの坊主頭は、信じられるぞこの人とその日のおれになぜか思わせた。
 花の都大東京のキラキラしたマスコミの世界でライター、しかもフリーのライターとして活躍しているやり手だけど知識豊富ながらゆるい雰囲気のある講師を求めてやって来た渋谷の、そこにいたのは元々はとある新人賞を獲って小説家デビューしたもののその後あんまり作品を発表しておらず、その間にライター業もちょこちょこ、そして今は文筆業とは? みたいなことを話す会やそんな本ばかりを出している眼鏡さんだった。それでも、生の小説家に興奮せずにはいられなかったし、どうしても小説家と話してみたかった。なんて言おう、あの人は小説家なんだ! 東京にはこんなふうにいろんな人がいて、会いたいと思ったら、話したいと思ったら叶うんだ! なんてぼやーーーっとしてる間に説明会は終わり、ひとり、またひとりと教室を去っていった。片付けるふりもしないまま座り続けていたおれは結局最後のひとりになって、本物の小説家と話すことになる。

 何と質問したのだったか、はっきりは思い出せないけれどすぐに思いを見破られる。
「君、たぶんライターじゃないよね。小説書いたら?」
ライターってそういう人がなる職業じゃないし、君が書きたいことも本当は違うよね、書きたいことあるんだよね、と。急に饒舌。
 はい、まったくその通り。結果、ライター育成講座ではなく小説講座に入学を決める。

 月1回、半年くらい通ったところで、あの小説家の先生が精神を病んでしまったらしくあっけなくその講座は終わりを迎える。講座で先生が話していたことはほとんど忘れてしまったけれど、宿題として毎回締切までに小説を書く、という良い経験をした。そしてそれは今まで書いてきたようなメソメソした自分語りではなく、読み手を意識して気をつけて書いたもの。そこに先生が気づいてくれると嬉しかったし、どうやってこんな設定が思いつけたの? と面白がってくれることが嬉しかった。ずっと小説家と決めていたわりに、完全な創作で小説を書いたのはその時が初めてだった。私小説といえば聞こえはいいが、日記の延長だったと思う。

 一作目を読んでくれた時、先生が言った。
「君、東京来てよかったよ」
今でも先生のその言葉が嬉しい。先生、おれもそう思う、本当に。お元気ですか、休み休みではありますがおれは今でも書いています。先生と行ったジョナサン、楽しかったです。


#reiwaさんありがとう

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