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その先はモノクロの世界だった。

今以上に昔は同性愛者だという事を隠す為にバリアを張って生きていた。

相手に踏み込んだ話をしないようにさせないように境界線を設けてきた。隠す為にたくさんの嘘をついてそれにより罪悪感を抱き続ける位ならいっそ人と深く関わらない方が楽だと思っていた。

これまでそうやって生きてきたせいで、いつの間にかそれは自分の性格の一部となってしまった気がする。

今でこそ少しは上手に生きられるようになったけれど、昔はもっともがいていた。

同性愛者である自分自身と向き合う事から逃げていた。

開き直る事が出来ず腹を括る事も出来ず生き方が不器用だった。

この人だったら好きになれるかも、と自分を賭けて何度か男性と付き合った。男性とセックスしたら変われるんじゃないかと思った。

でも、

「好きだよ。」と言われても言葉を返せなかった。

セックスにおいてはさせてあげるっていう感覚でしかなかった。そしてそこで快感を得たならば自分が汚く思えて今度は自己嫌悪に陥った。

付き合ってみたところで所詮自分自身に嘘をつく事は出来なかったし、どの道誰の事も傷付けずには生きられない事を知った。

好きなわけではない異性と付き合う賭けをしてみても、結局は自分が同性愛者だという事実を突き付けられるだけだった。

笑っていても幸せな振りをしていても相手を好きな振りをしていても心は空虚だった。

自分自身に蓋をしていたその頃はモノクロの世界だった。

所詮同性愛者の私が好きになれる筈もないのに付き合ってみてはやっぱり限界がきて別れる。私の賭けによって非のない彼らを無駄に傷付けた。


そんな事を私は何度も何度も繰り返した。


この時期の私は泣いている感覚もないのに涙がポロポロ止まらなかったりした。


現在では単に年齢を重ねた事も便乗して多少はたくましい生き方が出来るようになってきた。

この先もし誰かに同性愛者だという事を知られてしまっても、それはそれでしょうがないかって思えるようにもなってきた。


あと、

自分自身が紆余曲折があったからこそ得られた事もある。

自身が全てをさらけ出せないものを抱えてるからこそ他の誰かが抱えてる生き辛さにも気付いてあげられるかもしれないなって事であり。昔の自分の葛藤をせめてそんな風に活かせたらいいなと思う。


それから、

世間に立ち向かえる勇気が備わってきたのも、上手に生きられなくてもがいた末に何度も失敗した事でもう這い上がるしかなかったからだ。開き直って腹を括るしかなかったからだ。


昔の自分を思い出せば、

改めて今が幸せだと確信出来る。

改めて生きてる実感を感じられる。

目の前にそんな現在がある事と、そう感じさせてくれる恋人にもより感謝しなきゃなーと思う次第です。

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