意識的に生きる

ずっと、何となく、わかるようでわからなかった。目を開いている者と、閉じている者の違い。意識的に生きるという事の具体的なやり方。
今日、何気なくニール・ドナルド・ウォルシュの『神との対話』を開いたら、あら。
書いてあった。
ビジョンが必要である事。そりゃそう。ひとつひとつの自分の思考、言葉、行動を監視するとしたら、何を基準に変えていくか明確でなければ意味がない。
ビジョンが持てなければ、目を開く事はできない。
前から書いてあって、普通に読んでいたんだろうに、全然ピンとこなかった。
今日、歯茎が腫れちゃって痛くて寝込んでて、薬飲んでベッドの前の本棚から一冊よく見もせずに取った本に、このところの疑問への答えがあった。
「あれっ、ここに書いてあった」と思わず独り言が漏れた。

ビジョンを持ちましょうとか、よく聞くよね、ビジネスでもスピリチュアルでも。わかっていたけど、真面目に考えた事なかった。
『神との対話』で神は「最も気高い、こうありたいと思う自分」が最高のビジョンであって、その通りに生きるようアドバイスをくれる。
その為にいつも自分を「意識的に」見守る(監視する)のだ。かなり、大変だと思うけど、具体的なやり方を明確に語ってる。

そう考えると、ボクは自分を俯瞰したり観察したりするのは長年やってきたつもりでいたけど、眼を開いていたとは言えない。
ビジョンはあるが、そこに具体的に向かおうという努力はしてない。
それこそ「意識した事が無かった」。

問えば、答えは返る。
ボクは自分のビジョンを明確にしようと思う。
どうやって?
まず、言葉で。それから、絵で。
頭の中のイメージを書き出そう。
「最も気高く、なりたいと思う自分」は、
どんな姿かとても楽しみだ。
到達するのは簡単じゃないが、努力する自信はあるよ。
やっほー。

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