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002.草をむしる

※母親が亡くなったことについての日記です。そういう話が苦手な方、嫌悪感を抱かれる方は読まないようお願いいたします。

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7月XX日

「庭の草がじゃまだ!」とニコルさまが言うので庭の草むしりをする。
暑いし虫はいるし気分はのらない。夏の雑草の成長の威力たるや、そのエネルギーを発電にでも使ったらいいのではと思う。
しかし、はじめてしまえば、いっぽん、にほん、と抜いていき土の地面が見えるにつれて「もっとむしりたい!」という気持ちが止められない草むしりハイになる。大きいゴミ袋が5ついっぱいになるまでむしった。庭に生えているミョウガが土から顔を出していることに気づく。

電話で葬儀屋さんと日程などの打ち合わせ。11:00に電話の約束をしていたのに11:20まで電話がなく、特にお詫びの言葉などもなく打ち合わせが始まったことにまたすこしもやもやする。いちいちそういうこと考える自分の心の狭さが嫌だな、と思いながら話をすすめる。
たぶんいま、わたしの心の広さはいつもの10分の1くらいになっているのだ。猫の額だ。ただでさえ広い方じゃないのに。

日程と場所など詳細を決めてから、親戚などに母が亡くなったことと、葬儀の日取りなどを連絡する。母は親戚にも自分の病気のことを話したがらなかったので、みんな驚いていた。
母は、お見舞いに来て、心配されることや、病気の姿の記憶が残ってしまうことが嫌だったらしい。心配されても「大丈夫だよ」としか返しようがないもんねえ、と言っていた、ちょっとその気持ちはわかる気がした。

父と母のアルバムの整理をする。
母の小学生時代、中学生時代、父と結婚してから、姉を産んだ時、わたしを産んでから夜間の高校に通った時、姉や私の部活に付き添ってくれた時、孫との行事、母が笑っている写真がたくさんあった。
ここ最近は、母の苦しんでいる姿しか見てなかったから、「お母さんの人生も楽しい時があってよかったなあ」などとすこしほっとする。

母の遺影にする写真を選んで、スキャンし、レタッチ作業を済ませる。


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