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006.脱サラ和尚

☝️おねがい母親が亡くなったことについての日記です。そういう話が苦手な方は読まないようお願いいたします。

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7月某日

葬儀の日、久しぶりの雨。大雨。
うまく眠れなくて予定より遅めに会場に行く。

和尚さんが来たので挨拶、脱サラしたという経歴の和尚だった。最近は和尚も派遣サービスで呼べる時代。よさそうな人でよかった。母の戒名をいただき、その意味を教えてもらう。宗派に強いこだわりがあるわけじゃないけど、(流されるままに、父方の実家でお世話になってるお寺の宗派にした)うちの宗派は戒名がとてもきれいでわかりやすいところが好きだ。

告別式、初七日法要、なんのトラブルもなくさくさくと進んでいく。最初はわからなかったご焼香の作法も、もうすっかり覚えてしまった。お姉ちゃんの子供たちも難なくお焼香をこなしている。こなせるようになってしまったんだな。右手で大きな木魚、左手で鈴をそれぞれ違うリズムで鳴らしながら、お経をよんでいる和尚さんの背中を見ているだけで脳みそが混乱しそう。お経を上げてもらっている間ってなに考えてればいいんだろ。

出棺前、母の棺を花でいっぱいにする。
「これでおわかれだね」って泣いてる人ばっかりの中、わたしはなんとなくまだお別れじゃないような、不思議とまだ近くにいるような気がして、他人事みたいな気持ちで棺を囲むみんなのことを見ていた。

霊柩車に乗って火葬場へ、霊柩車は真っ白なベンツ。後続車がはぐれないように信号待ちもうまく調整しながら進む運転手さんの技術に感心する。和尚も、運転手さんも、プロってすごいなあ。

火葬場に到着、棺を火葬炉の中に入れるための最終確認。喪主が了解しないとスイッチをいれられないらしい。「お母様を火葬炉のなかにお納めしてよろしいでしょうか」と尋ねられる。「いやだ!お母さんのこと焼かないでください!」ってここで泣き叫んだらどうなるのだろう、などと少し考える。
でもどうにもならないことはわかっているので「よろしくお願いします」と答える。焼かないで、そのまんまとっといたって生き返るわけじゃないしなあ。

母の闘病中もこんな風に突然の選択を迫られることがたくさんあった。
こういう効果とこういうリスクのこの薬を使うのか、それともこっちの薬を使うのか、救急車を呼ぶべきか、呼ばずに様子をみるべきか、入院するべきか、退院するべきか、その場で迫られる、母の命に関わる選択肢に狼狽えながらもこっち、そっち、と選んできた、選びきれなくて先生の前で泣いたこともあった。選べないことばっかりだった。いろんなことがあったな。

火葬中はみんなで食事をする。母を焼いている間だっておなかはすくものだ。最初はしんみりはじまった食事だったけれど、母や父の思い出話でみんな笑っていた。よかった。いつかのわたしの葬儀は、みんなでマジックスパイスをすすってほしい。

火葬が終わりました、というアナウンスで火葬炉に戻る。骨あげは各自1つずつ、残りは職員の方が手際良く骨壷に収めてくれる。粉になってしまった骨も残さないように、ふさふさのほうきでていねいに。ベッドから何回も起こした、腰が痛くなるほど重かった母の身体は、白い骨壷の中にぴったりきれいに収まってしまった。

来てくれた親戚にお礼を言って、自宅に帰る。葬儀ははじまってしまえばあっけない。あらかじめ用意しておいた自宅のスペースに位牌と骨を置いて、遺影は父のものと並べて置いた。

庭で寝ていたニコルさまがのそのそと部屋に戻ってくる。
「ニコルさま、おかあさん帰ってきたよ」
「おつかれさまだったな」
ニコルさまを抱き上げて、母の骨の横に置いてあげる。

私はこのとき、母が死んでから、はじめてわんわん泣いた。やっとぜんぶ終わったんだ。

いつか母に会えたら「わたしがんばったかなあ」って聞きたい。きっとたぶん「よくがんばったよ」って言ってくれて、それを横で聞いていた父が「でもあそこはもっとこうしたほうがよかった」って余計なことをいって母とけんかになるんだろう。きっと未熟なことももっとこうしたほうが良かったってこともいっぱいいっぱいあったと思う。だけど、わたしはわたしなりに母の病気に、母の死に、向き合ってきたんだ。それがやっと終わったんだ。人生でいちばんしんどくて、くるしくて、だけど母と過ごせたしあわせな時間だった。ありがとう、ごめんね、ありがとう、そればっかりが浮かぶ。ニコルさまは母の横でいつものように毛繕いをしている。そうだね死んだって、骨になったって、お母さんはお母さんのままだよね。

ひとしきり思い出に浸ったあとは、Tシャツに着替えて自転車に乗ってニコルさまの病院へ。母の葬儀の日だろうが、母を焼いた日だろうが、母の骨を拾った日だろうが、関係ない。ごはんは食べるし、自転車に乗っていつも通りニコルさまの病院へ行く。生きていくってそういうことだ、わたしはニコルさまとこの家で生きていくんだ。ニコルさまはリュックの中で「しゃー!」と文句を言っている。

親の最後の病気に付き添うこと、介護をすることって、歯を食いしばって、どんなにしんどい思いをして、いろんなことをのりこえて、がんばっても、最後に待つのは「死」だ。そのおわりに喜びや幸せなんてものはなく、おおきな悲しみにむかってジェットコースターに乗ってるような日々だ。右を選んでも、左を選んでも、そこには「おおきなかなしみ」が横たわっている。せめて、その「かなしみ」を少しでも小さくするために、できることをしてみるけれど、それはなんていうかスプーンで砂漠の砂を掘っているようなものだ。なにかを成し遂げるために、手に入れるために、作り上げるためではなく、「なくす」ためにのりこえないといけない日々、でも、その瞬間の一瞬手前までは確かにそこに命があって、その命を守るために戦って、だけどどんなにこっちがジタバタしたって、あっさりとなくなってしまう。残されたのは圧倒的なからっぽ、しばらくはこの「からっぽ」と、からっぽの前に残された「かなしみ」と向き合わなければいけない。

雨はもうすっかりやんでいた。

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代わりがあるものはたくさんあるけれど、代わりがないものもたくさんあるから、それがなくなっちゃったあとの大きなあなぼこも、むりに埋めることはしないで、またのんびり穴ぼこをみながらお茶でも飲める日が来る時まで、ほかの場所におはなのたねをまきながら生きていきたいな、とおもってかいたよ。

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