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不安画師を辞めます(本当)

個展の会期中で不安画を展示してる最中にする話でもないのですが
決心がつきましたので「不安画師を辞める」ことをご報告いたします。
様々考えた結果なのですが、経緯について説明させていただきます。

遡る事2010年の話からになります。
僕は某会社で住み込みで働いていました。
その頃から不安画の様なものを描いていて当時はまだ画家を名乗らず
仕事の片手間の遊びの趣味的に書いておりました。
その頃、僕には社内に好きな人がいてその人が僕の絵を褒めてくれて
僕はその人に容姿から仕事からまぁ好かれてなかったので
絵を褒めてもらう事が嬉しくて結構な数描いていたのを覚えています。

2011年3月11日
日本国民で当時を覚えている人なら不安にならなかった人はいない
東北大震災が起きました。僕の会社は都内だったのですが
会社の社長が放射脳の人で僕らは放射能に汚染されるからと
震災から2週間ほど社内に軟禁されました。
もちろんやるや仕事などないので僕は絵を描きました。
その時で来た絵が「病睨」という絵で不安な明日を見続ける僕を描き
僕は「これだ…」と自分の表現を見つけました。

病睨

しばらくして軟禁は解かれたのですが社内に仕事など全然残っておらず
会社は移転する事になりました。沖縄に。原発ないからね。
当時社員は4人だけで他の社員は「どう僕を置いていくか」
の相談ばかりしていました。

僕は相変わらずあの子にお熱で震災のストレスで体重が10kg程落ちた際に
「このまま体重が60kgになったらお姫様抱っこしてあげる」という
言葉を信じてダイエットで体重を100kg→75kgまで減らしました。
そしてあの子は「そんな話したっけ?それなしで」と言われたのですが
僕はストレスとダイエットへの強迫観念から拒食症になり
職場がなくなる不安感から実家に何も言わず帰り引籠りました。
体重は55kgまで落ちました。
会社は沖縄へ移転し、あの子とも離れ離れになりました。

僕は引きこもっている最中に栄養が足りないのか多々幻覚を見たり
不安画が妙な説得力を出してきてそれを2ちゃんねるにあげたりしてました。何度か立てたスレッドはまとめサイトにまとめられたり無断にbotに作品が掲載されたりするようになりました。

僕は「この調子で絵を描き続けていればあの子の所に絵が届くのでは?」と
考えて絵を描き続けネットに上げ続けデザフェスなどにも出品しはじめました。画家も名乗りはじめ、不安画と言いはじめたのもこのころです。

その後、趣味でやっていた大喜利のお店を作る話が持ち上がり
「あの子は大喜利が好きだったからお店に来てくれるかもしれない」と思い
実際にお店を立ち上げて3年ほど経営しました。

もちろん商売など初めてなので上手くいくわけもなく僕は途方に暮れて
自殺未遂をして生死の境をさまよいお店は潰れました。
そしてまた制作をはじめるのです。

その頃、あの子が某地方のギャラリーで働いていると聞きました。
これは絵を描き続ければそのギャラリーで展示できるかもしれない。
そう思った僕はどんどん作品を描き、関東で展示を重ねます。
そして数年後、そのギャラリーで再会を果たします。
震災から7年がたっていました。


それから数年。
僕はその子のライブチャットアプリに50万円ほど課金していました。
何万円もの贈り物など何度したか覚えていません。
しかしその子は振り向いてくれることはなく、僕を利用するそぶり
ばかりで僕は爆発して大げんかになって縁は切れてしまいました。

僕はあの子を振り向かせるためだけに不安画を描いていました。
あの子が東京に来る時の個展はあの子がモデルの絵を40枚ほど
描き下ろしたり本当に誰が為というわけではなく
あの子の為だけに描いていました。
ファンが~~~フォロワーが~~~ファボってくれる人が~~~
全部嘘です。僕はあの子だけのために不安画を描いていました。
あの日あの子が褒めてくれたから。

それが縁が切れてしまうとどうでしょう?
誰のために描けばいいのでしょう?
誰に褒められれば満足するのでしょう?
一体誰に届けたいのでしょう?
僕はわからなくなってしまいました
それが2年ほど前の話です。

僕はコロナや仕事の多忙などを言い訳にしてましたが
実際の所は「モチベーションを失って制作ペースが極端に落ちた」のです
実のところを言うとこの2年ほどは「惰性」で描いていました。
ここまで10年あの子のために描いた作品で出来た仲間たちもいるし
不安画を描いていないと星野児胡が星野児胡でいなくなって
惰性でも作品を描き続けなくてはいけなくなったのです。

詳しく書くと特定されてご迷惑になってしまうので簡潔に書くのですが
数年前に知り合った人がいます。
僕はいつしかその人の事が好きになっていました。
今その人のために活動をしています。
その活動をその人は受け入れてくれています。
ただ「不安画」にTwitterでファボをつけてくれた記憶が無いのです。
Twitterでその人のファボが流れてくると僕は嫉妬をします。
僕のデザフェスのブースにも来てくれませんでした。
僕はその人に認められたい、その人にファボられる絵が描きたい。
また10年間描き続けて無駄な時間になってしまうかもしれない。
でも僕は「その人に認められるためだけに不安画を捨てます」
そして「新たな画風であの子に認められる」のを目標にします。
恋愛どうこうではなくて「画家としてその子に認められたい」のです
(なお、恋愛としても全く認められてない模様)

奇しくも改名を考えているところでした。
星野児胡の名前の画数は最悪なので読みは同じで漢字だけ変え
「斗野児胡」に7月から改名することはTwitterでちらっと言ったのですが
ちょうどいい機会、転機のチャンスということで
7月から斗野は「不安画師」をやめます。
その人に認められるために自分の武器を捨てます。

僕は下心しかない人間なので好きな人のためにしか動きません。
自分のための頑張り方がわからない人間なのです。
ただ僕はこういうのはマジでがんばる方です。
10年間思い続けて描いた画風を捨て、
新たな人を想ってまた絵を描ければいいなと思っています。
10年かけても認めさせてみます。
画家を辞めるって話ではなく今までの活動やめて
ガラっと変わるよーという告知です。
画風が変わっても斗野児胡をよろしくお願いします。

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