中学生の時、塾に他校の友達がいる友達が羨ましかった

中学生になり、いつからだったか覚えていないけど、次第に周りの友達が塾に行くようになった。
自慢できるような成績ではなかったけど、塾に行かなくても学校生活が楽しかった僕は、塾に行くという選択肢がなくて、小学校からの友達と、小学校は違うけど、同じ中学に通う友達と、それなりの学校生活を送っていた。

たぶん、中学2年生の秋頃から。
よく一緒に下校する友達が、帰り道に塾友達のことを、楽しそうに話してくれるようになった。話し上手な友達は、毎日のようにその友達や塾での様子を話してくれて、僕はそれが結構好きだった。

その一方で、その友達に対して、感覚的に羨ましさのようなものを感じるようになった。その部分について、特別避けていたわけではないのだけど、最近その羨ましさの言語化がちょっとできるようになってきた。

その友達が、「自分の知らない、学校以外の世界」に、新たなコミュニティを築いている

ということに対して羨ましくなっていたのかな、と思う。
小学校から、中学校へと、一緒に学生生活を過ごす人数が倍近く増え、新たなことを学んでいながらなお、新しい社会に身を置く。
なんだかそれは、自分より一歩先の世界へ足を踏み入れ、自分とは違う次元の変化をしているのではないか、という羨ましさを、あの時感じていたような気がする。

最近、進化のための圧、「進化圧」という考え方が面白くて、ずっとそのことを考えているんだけど、この塾に友達を作っていた友達も、学校の外で進化のための圧を受けていて、なんだかそこに行けていない自分が、ちょっと悔しかったのかな、とか。

進化圧のこと、いっぱい書いていきたいなって思っていたまま、しばらく味噌漬けになっていて、そろそろ発酵しそうだから、ちょっとずつ蔵出ししていくぞ、の意を込めて、殴り書きを投下しました〜

次回作に乞うご期待。

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