境界線
私は境界線が薄いところがある。
いわゆるボダとか境界性パーソナリティ障害とかいう意味あいではなく、自分が思ってることなのか、相手が思ってることなのか、投影なのか、分からんくなる。それがしばしば、ある。
共感力が良くも悪くも高いゆえに境界線が薄いのだろうか。虐待の後遺症なのかHSP気質によるものなのかは、よく分からないでいます。
境界線はボーダーラインとかバウンダリーとも呼称するそう。これがうまいこと働かないと人やモノに過剰に依存してしまったり、色んな方法で自分を傷つけるようなことに繋がりやすいらしいです。
結局コピーしてる
大切な人、パートナーだけじゃなく気のおけない友人など、思い入れが深いひとたちにこそ、顕著にそれが出てしまう。
だけど冷静になって我に返った時、
「それってただの押し付けじゃ?」
「コントロールしたいがための過干渉じゃ?」と、自省する。
私をマウントしたがった母がよぎる。
そして暴力で支配した父すらもよぎる。
私は結局コピーしてるんだろうかと考えると、ウンザリする。
割り切れなくても割り切る
自分にウンザリすること、悲しみが断りもなく私のドアを開けてくることは、もうバイオリズムなのかもしれないと、最近思うようになった。つまり割り切った(多分)
「割り切って考えてさあ」って、一番好きじゃない、納得できないフレーズだった。できるならやっとるわいプンスカと思っていた。
でももう割り切らないとやってられない。人って必要に迫られるとできちゃう事もあるんですね(笑)
気づけば、それでいい
私にはそういうウェルカムしてないバイオリズムがあって、不安を、焦りを親密な人に投影して一人相撲してしまう波が、どーーーしてもあるんだ、もう見守ってやるしかないんだ。と気づいた。
昔にとある人がメッセンジャーとなって教えてくれた、「気づけば、それでいいんだよ」というのは、言葉のお守りとして持っている。
気づけば、今、ここから軌道修正を試みることはできる。自尊感情を膨らませてやるにはどうしたらいいかを考えることができる。
そうやって、何度もすっ転びながらでもリカバリーしていくしかない。自分のためにも、理解に努めようとしてくれる周りのひと達のためにも。本当に大切にしたいひとを大切にするために。
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