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父のこと。

3月28日 日曜の朝
父が亡くなりました。

仕事中、お昼すぎに父方の叔母からの着信に何やら嫌な予感がして、電話するのがこわくて、すぐには折り返せませんでした。
その日は仕事が終わる直前にトラブルがあったし、夜は楽しみにしていたライブもあった。


父の母、私の祖母の話を少し。

祖母は少し前から認知症になり、施設に入所しています。
少し前、叔母と会った時に、
"会いたい人には早めに会っておきなさい"
と言われました。
祖母のことなんだと思いました。
もうだいぶ歳を重ねて、体調を崩しているから、いつ何があってもおかしくないと思っていたのかもしれません。
そんな祖母はまだ元気です。

でももうきっと、父のことは覚えていない。

父とはもうどのくらい会っていなかったんだろう。

私の父と母は、私が中学2年の時に離婚しました。
私と3つ下の弟は、母に育てられました。
離婚する前はよく喧嘩をしていた父と母。
誰に非があるとかないとか、そんなの中学生の私には関係ないしどうでもいいことでした。
とにかく私は父も母も大好きだった。
でも結果、家族は離れてしまうことになりました。

それから十数年経って、曾祖母が亡くなりました。その時父方の親族の集まりへ出かけた私たち家族。
この日来られなかった父と、思わぬ電話で話をすることになりました。

電話での声は、私が覚えている頃の父のそれとは違っていました。
電話口で、泣いているようでした。


"元気でやってるか?"
"美容師になったのか、そうか。"

"沖縄を離れてからも、家族のこと一日も忘れたことはないよ"

父が泣いているのに気が付いて私まで泣いてしまいそうだったけど、我慢することで涙腺の崩壊をギリギリ保っていた感じ。
電話が終わり、仕事中だったから自転車で職場まで戻ったけれど、途中から涙が止まりませんでした。

でもまさか、これが最期になるなんて思ってもみなかった。

いつからそれだったかは知らないけれど、父は肺がんでこの世を去ったらしいのです。
名古屋で再婚していた父。
相手の方との間に生まれた男の子。
その子が、叔母に連絡をしてきてくれて、初めて病気だったことを知りました。


叔母は、

"怒らないでね。
怒らないで聞いてね。
お父さん、亡くなったよ。
あんたのお父さんは本当に大バカ野郎だったけどね、〇〇(私)にとってはたった一人のお父さんだからね。ちゃんと教えておかなきゃと思って。ごめんね。"

泣きながらそう言いました。

それを外で聞いた私は、ただただ、泣くことしかできませんでした。

ずっと連絡しようと思っていた。
そう思うタイミングはいつも決まって父の誕生日。
5月5日は子供の日でもあるけど、私にとっては父の誕生日でもあります。

電話番号も知ってるしLINEも繋がっているのに、おめでとうと言う勇気がどうしても出なくて、もう何年も連絡出来ずにいました。
今だから言える。
あの時も、あの日も、おめでとう。
ずっと名古屋に会いに行こうと思ってたんだよ。
今はこんな状況だからさ、落ち着いたら行こうって思ってたんだよ。
なのに。なんで。


去年の4月の初め頃、実は母も同じ肺がんの手術をしました。
まだ早期だったから、1週間程度の入院で済んだのだけれど。
まさか父まで同じ病気だったのに驚きました。
もしかして父が、母の痛いのも苦しいのも背負ってくれたのかな、と思ったり。なんて。

遠く離れてしまった家族。
近くにいないと、何となく疎遠になってしまうことってある。少なくとも、私はある。
大好きでも大事でも、連絡が取りにくくなってしまうことがある。
何かをきっかけにまた普通に話せるようになればいい。

でも今回は、間に合わなかった。

気を紛らわそうとするけれど、ふと思い出してしまうことは何度もある。苦しい。しんどい。

"会いたい人には早めに会っておきなさい"

後悔が募る。
これはこの先ずっとついてまわる。
無理してでも会いに行けばよかったと、きっと何度も考える。

会いに行けなくてごめんね、お父さん。
私はでも、お父さんの子供で良かったよ。

また生まれ変わったら、お父さんの子供になれますように。

ありがとう。