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観る前に!直近3作品のテーマ変遷を振り返る(前編)-「君たちはどう生きるか」

明日からの公開が楽しみです。
宮崎駿監督の直近の3作品について、テーマを振り返ってみます。
(ネタバレなし)

ものすごく独断的かつ端的に言ってしまえば、

『ハウルの動く城』(2004) 心臓をだれにも渡すな!
『崖の上のポニョ』(2008) 魚と生涯なかよくしろ!
『風立ちぬ』(2013) 人生掛けて意志を貫け!

ということだと思います。
ちなみに、心臓と魚と意志はだいたい同じものを示しています。
メッセージは一貫してますね。

新作『君たちはどう生きるか』も、この延長線上にあるのではないか、と予想しています。

では、もうちょっとくわしく解説します。

超高層ビル、飛行機、自爆テロ、宗教

2001年公開の『千と千尋の神隠し』より後の作品には、アメリカ同時多発テロ事件の影響が強くあると考えています。

折り返し点―1997~2008(岩波書店)より

21世紀の幕開けの年、大都会の超近代的な超高層ビルが黒煙を吐きながら一瞬で崩れる瞬間が(中にたくさんの人がいるのでしょうに)、世界各地に生中継されました。

私は当時、畳の上でコードレスアイロンを掛けながらテレビのニュースを見ていました。携帯電話で、連日絶賛残業中の夫に「大変なことが起きてるよー」とメールを打ちました。そしてこう思いました。
こんなに高度な文明を築いても、それを使う人類の精神や社会はぜんぜん進歩してないんだな。 石の斧で殴り合ってた時代のほうがマシじゃん。

当時の空気感がちょっとは伝わるでしょうか。お茶の間の日常にいながら、大惨事をリアルタイムで目撃する。そういう時代になりました。(昭和は、大事件とはテレビのテロップで知り、詳細は翌日の朝刊で読むものでした)

人類と信仰、それを利用しようとするもの

少し遠まわりになりますが、宮崎駿監督と同じ1941年生まれのリチャード・ドーキンス博士の言動と比較してみます。

リチャード・ドーキンス博士は
・イギリスの生物学者
・『利己的な遺伝子』『盲目の時計職人』などの著書が有名
・ミームの概念を紹介した
人物です。

そして911をきっかけに、2006年『神は妄想である―宗教との決別』という著書を発表しました。

科学者が「神は妄想である」と公言することは、日本では「まあ、そうだよねー」くらいで、それほど話題になりませんでしたが、宗教信者の多い欧米ではセンセーショナルに受け止められたようです。本書は全米で大ベストセラーになりました。

リチャード・ドーキンス博士はTEDでこう語っています。

「9.11はあなたをどう変えたか?」 という問いがいまだによく話題にされます 。よろしい 、私の場合はこのように変わったのです。 (宗教に)ばかばかしい敬意を払うのは、皆さん、 もうやめにしましょう。

2015年TED 戦闘的無神論

それから孫引きになりますが、Wikipediaにはこう書いてあります。

我々の多くは宗教を無害なナンセンスだと考えている。信仰はあらゆる種類の証拠を欠いているが、松葉杖を必要としている人たちの安らぎとなることができる。どこが危険なのだ?と。9月11日以降、全てが変わってしまった。宗教信仰は無害なナンセンスなどではなく、致命的に有害なナンセンスとなった。宗教は人々の持つ正義感に強固な信念を与えるために危険である。他人を殺害することへの抵抗心をなくし、殺人への誤った勇気を与えるために危険である。異なる伝統を持つ人々に敵というレッテルを張るために危険である。そして宗教は、特別に批判から守られるべきだという人々からの奇妙な賛同を得たために危険である。忌々しい敬意を払うことはもう止めるべきだ!

Wikipedia リチャードドーキンス 無神論と合理主義

「宗教は有害なナンセンス」「進化論は根本的に宗教とは対立する」「科学が宗教を蝕むのと同様に 宗教もまた科学を蝕む」などと強い言葉で宗教活動への批判を繰り広げています。

注目するのは、もとから無神論者だった彼が科学者として宗教信仰にNOとはっきり言わねばならない、と思わせたきっかけが911であることです。

この強い動機と同種のものが、宮崎駿監督にも働いたと想像しています。

この世は生きるに値する

2013年、引退会見で宮崎駿監督は以下のように語りました。

基本的に子供たちに「この世は生きるに値するんだ」ということを伝えるのが自分たちの仕事の根幹になければいけないと思ってきた。

宮崎駿監督「この世は生きるに値する」 引退会見の全文https://www.nikkei.com/article/DGXNZO59386140W3A900C1000000/

自分の好きな英国の児童文学作家でロバート・ウェストールという人がいるが、彼のいくつかの作品の中に、自分の考えなくてはいけないことが充満している。その中にこういうようなセリフがある。「この世はひどいものである。君はこの世に生きていくには気立てがよすぎる」。少しもほめ言葉ではない。それでは生きていけないぞと言っている言葉。本当に胸を打たれた。(「この世は生きるに値する」という言葉は)僕が発信しているのではなく、僕はいろんなものを多くの読み物や昔見た映画などからいっぱい受け取っているのだと思う。(それらを作った人々は)繰り返し「この世は生きるに値する」と言い伝え、ほんとかなと思いつつ死んでいったのではないか。僕もそれを受け継いでいるのだと思っている。

同上

10年前の発言ですが、この思いは今でも大きく変わることはないでしょう。
子どもたちに伝えたい「この世は生きるに値する」とは、「この世は素晴らしいところですよ」「君ならきっとうまく生きていけるよ」というような無責任に楽観的なメッセージではありません。つらいことも上手くいかないこともたくさんあるけれど、でも生きることに意味はある、ということです。ほんとかなと思いつつ、というところが正直で好きです。

世界中の子どもたちが観るアニメ映画の監督として。「この世は生きるに値する」ことを子どもたちに伝えたいと考える宮崎駿監督は、作品を通して何を語ったのか。

またまた、ものすごく独断的かつ端的に言ってしまえば、

科学と信仰は兄弟のようなもの。メタ視点を持って共に生きろ!
ということではないかと思います。
(かなり乱暴に意訳しています。詳細は後編で)

反宗教のリチャード・ドーキンス博士とは、ずいぶん異なる意見のようですが、じつは、考えの根本にあるものは近いのではないかと思っています。

これまた、ものすごく独断的かつ端的に言いますが、

1,信仰心は人間の持って生まれた性質から生まれる
2,それを他者(国家や権力者など)に利用させてはいけない

ということです。
(これもかなり乱暴なまとめです。本を読んで自分で確認してくださるようお願いいたします)

1はポニョで、2はハウルで、そして『風立ちぬ』では信仰だけでなく広義に、自分の信念が国のそれも戦争の利に重なってしまうとき、苦しみつつもまっすぐ信念を貫いた人物の人生を、なかば自伝的に「自分はこう生きた!」と描いたんじゃないかなあ、と思っています。

長くなりますので、後編へ続きます

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