見出し画像

アオサギはどこから来たのか 2冊以外の参考図書

映画の元ネタになったといわれている「君たちはどう生きるか」「失われたものたちの本」2冊のほかに参考になりそうな本と、現時点での映画のアオサギについての考察をかんたんに書いておきます。

参考本

(1)「こどもの本を読む」河合隼雄

まず宮崎駿監督のファンタジー全般について考えるのに、必読の書です。

まえがきに登場する「たましい」と、宮崎駿監督の著書「折り返し点―1997~2008」の中で語られる「たましい」は同じものだと思います。

宮崎駿監督は河合隼雄先生と対談したこともありますし、おそらくこの本も読まれて影響を受けているはずです。

(2)「リリス」ジョージ・マクドナルド

映画の元ネタとなった「失われたものたちの本」(ジョン・コナリー著)のような異世界冒険ファンタジーの始祖的な物語です。初版は1895年。

この本もおそらく、宮崎駿監督は読んでいるはずです。

先祖伝来の古い屋敷を相続した主人公が、本がたくさん詰まった図書室で、本を探す背の高い謎の老人の影をみかけるところから物語が始まります。
この図書室の描写は、映画の塔の中の図書室を彷彿とさせるものです。

中心になる部屋は広びろとして、四方の壁は、ほとんど天井にとどくくらい本に覆いつくされていた。そこからあふれ出るようにして連なる小部屋が、さまざまな大きさ、さまざまなかたちをつくりだし、ドアやオープンアーチや短い通路や、昇り降りする階段は――これもさまざまな方法で中心の部屋と連結しあっていた。

リリス/G・マクドナルド/荒俣宏訳

「失われたものたちの本」のねじくれ男や「不思議の国のアリス」の白うさぎのような異世界へいざなう役割を大鴉(オオガラス)が務めます。

この大鴉がアオサギの発想元になっているのではないかと思います。

なお、この大鴉の元ネタになっているのがエドガー・アラン・ポーの詩「大鴉」です。nevermoreと鳴くこの鳥がいざなうのはファンタジー世界ではなく、精神的な狂気です。このこともけっこう重要だと思います。ファンタジーと狂気は非常に近いところにあります。「こどもの本を読む」を読むとよくわかると思います。

2024年2月現在、本(ちくま文庫)は絶版になっているようなので、興味ある方はお早めに中古で探してみてくださいね。


(3)「桜の園」チェーホフ

大鴉がなぜアオサギになったのか。

これはもうただ私の勘です。
映画「君たちはどう生きるか」を見ていて、なんとなく「斜陽」っぽいなー、ていうより「桜の園」っぽいのかなーと思って、読んでみました。ら、とても印象的な場面で「アオサギ」という言葉が登場しました。
第2章です。突然、遠くで「弦の切れたような」「もの悲しい」音が響きます。

ラネーフスカヤ「あれは、何?」
(中略)
ガーエフ「鳥かなんかかも知れん。アオサギとか……」

桜の園/チェーホフ/小野理子訳

ロシア革命の少し前、世界の変わり目の暗い足音が聞こえる時代を背景に、目前の問題に気を揉む(どこか呑気な)人々を描く「桜の園」。
映画「君たちはどう生きるか」では第二次世界大戦の時代を背景に、母の死というとても個人的な問題を乗り越える主人公を描いています。

現代でも私たちは遠くにウクライナやパレスチナの戦争の音を聞きながら、ひとりひとりは目の前の、大概は個人的な出来事に腐心しているわけです。

チェーホフは「桜の園」を喜劇だと言っていたようですが、私たちの日常も大概は滑稽なものです。夏目漱石も虞美人草で「普通の人が朝から晩に至って身心を労する問題は皆喜劇である」って書いてたし。
そしていつの間にか、古く美しく価値あるものが壊され失われていきます。
まあ、それも悪いことばかりではないですね。
現代にも美しく価値あるものはあり、未来にもまた美しく価値あるものは作られていくでしょうから。

宮崎駿監督は「チェーホフ好き」っておっしゃってますので、「桜の園」を意識して本映画を作った可能性はあると思います。

岩波文庫のあとがきにちょうど「アオサギ」の台詞が出てくる場面の説明があるのでぜひ。

アオサギのルーツ

というわけで、アオサギは
・エドガー・アラン・ポーの大鴉(おおがらす)
・「リリス」の大鴉
・「桜の園」のアオサギ
あたりがルーツになっているのではないかと思います。

アオサギは何者か

映画におけるアオサギは主人公眞人の分身「こころの声」です。

眞人は「のぞき屋のアオサギ」という言葉から自分を投影してしまったのでしょう。
礼儀正しく振舞っていた少年が頭に傷を負ったのち食事を「まずい」と言うように本性を隠さなくなったことと、くちばしに穴が開いてしまいシュッとしたスマートな姿に変身できなくなったアオサギ等、写し鏡のように描かれています。

学校のいじめっ子には父親を差し向けて間接的に解決を図ろうとする主人公ですが、アオサギに対しては自ら武器を取り、直接対面して戦おうとします。
アオサギは眞人の心に押し留めている言葉をしゃべってしまうからです。
赤の他人の悪意とは違う、自分の内なる声を話すものに対する強い危機感。
カエルがワラワラ出てくる描写など絵的にも精神病的な兆候が見てとれます。

眞人が精神的にとても危険な状態で、ファンタジーが起きます。

そして最後は、認めたくない自分の「こころの声」と友達になります。
ときに醜くとも自分の内声と友達になってこそ、現実世界で他人との真の信頼関係が築けるんですよね。

さて、
じつは「君たちはどう生きるか」と「失われたものたちの本」は購入したもののまだ読んでません。😅積読本が増えるばかり
全部読んで気付いたことがあったら、また映画の感想などを書くかもしれません。




この記事が参加している募集

うちの積読を紹介する

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?